「新しい食品表示制度」が2020年4月1日より完全実施されました。 [食品表示]
2015年4月1日からスタートした「新しい食品表示制度」のルールブックといえる食品表示基準の経過措置期間が今年2020年3月31日をもって終了し、4月1日より「新しい食品表示制度」へと完全移行しました。
したがい、2020年4月1日より製造(または加工・輸入される)食品は、「新しい食品表示制度」に基づく表示をする必要があります。
旧食品衛生法、旧JAS法及び旧健康増進法の食品の表示に関する規定を統合して創設された食品の表示に関する包括的かつ一元的な制度である「新しい食品表示制度」における旧制度からの主な変更点は次の通りです。
1.アレルギー表示のルール改善
2.加工食品の栄養成分表示義務化
3.製造所固有記号制度のルール改善
4.原材料と添加物の記載方法の変更
食品表示法(平成25年法律第70号)に基づく「新しい食品表示制度」についてもう少し詳しく知りたい方は、消費者庁ウェブサイトより次のパンフレット(pdf ファイル)をダウンロードすることができます。
・「知っておきたい食品の表示」(消費者向け)
・「早わかり食品表示ガイド」(事業者向け)
それでは、実際の商品の食品表示(任意表示および義務表示)を見てみましょう。
~ 山崎製パン「焼きチーズスフレ」(北海道チーズ)の表面(おもてめん)。製造所固有記号に「+」が付いているので、新しい製造所固有記号制度に基づいてることがわかります。製造所固有記号の届出情報は、消費者庁「製造所固有記号制度届出データベース」で確認することができます。
~ 同裏面。栄養成分表示が載っています。
~ コイケヤ「プライドポテト(感激うす塩味)」の表面(一部)。
~ 同裏面の義務表示事項欄(一括表示欄)。
~ サントリー緑茶飲料「伊右衛門」(ペットボトル茶)の表面。
~ 同裏面。義務表示事項欄(一括表示欄)の原材料欄を見ると、「原材料名:緑茶(国産)/ビタミンC、酵母粉末)となっています。緑茶(国産)とビタミンCの間に記号「/」が記載されており、原材料と添加物が区分されています。
したがい、2020年4月1日より製造(または加工・輸入される)食品は、「新しい食品表示制度」に基づく表示をする必要があります。
旧食品衛生法、旧JAS法及び旧健康増進法の食品の表示に関する規定を統合して創設された食品の表示に関する包括的かつ一元的な制度である「新しい食品表示制度」における旧制度からの主な変更点は次の通りです。
1.アレルギー表示のルール改善
2.加工食品の栄養成分表示義務化
3.製造所固有記号制度のルール改善
4.原材料と添加物の記載方法の変更
食品表示法(平成25年法律第70号)に基づく「新しい食品表示制度」についてもう少し詳しく知りたい方は、消費者庁ウェブサイトより次のパンフレット(pdf ファイル)をダウンロードすることができます。
・「知っておきたい食品の表示」(消費者向け)
・「早わかり食品表示ガイド」(事業者向け)
♪ 消費者庁ウェブサイト(食品表示制度全般に関するパンフレット)は、 →こちら
それでは、実際の商品の食品表示(任意表示および義務表示)を見てみましょう。
~ 山崎製パン「焼きチーズスフレ」(北海道チーズ)の表面(おもてめん)。製造所固有記号に「+」が付いているので、新しい製造所固有記号制度に基づいてることがわかります。製造所固有記号の届出情報は、消費者庁「製造所固有記号制度届出データベース」で確認することができます。
~ 同裏面。栄養成分表示が載っています。
~ コイケヤ「プライドポテト(感激うす塩味)」の表面(一部)。
~ 同裏面の義務表示事項欄(一括表示欄)。
~ サントリー緑茶飲料「伊右衛門」(ペットボトル茶)の表面。
~ 同裏面。義務表示事項欄(一括表示欄)の原材料欄を見ると、「原材料名:緑茶(国産)/ビタミンC、酵母粉末)となっています。緑茶(国産)とビタミンCの間に記号「/」が記載されており、原材料と添加物が区分されています。
寿ぎの和菓子「蓬莱山」(子持饅頭) -(4) 現在の「蓬莱山」(子持饅頭)- [甘いもの(和菓子・スイーツ・パン)]
♪ 寿ぎの和菓子「蓬莱山」(子持饅頭) -(3)子持饅頭の異名の「蓬莱山」の定義、解説など- の続き
日本を代表する和菓子屋の虎屋公式ウェブサイトに載っている商品一覧を参照すると、「子持饅頭」という異名がある「蓬が嶋」(よもがしま)が特別注文商品(慶事)として掲載されています(ご使用6日前までの予約必要)。
虎屋の他に、俵屋吉富「蓬莱山」(子持ち饅頭)、老松「子餅薯蕷」などの「蓬莱山」(子持饅頭)の商品案内をウェブサイトに載せている和菓子屋があります。
さて、江戸時代の上菓子屋仲間の流れをくむ「菓匠会」同人の亀屋良長にも「蓬莱山」がありますが、子持饅頭ではありません。
亀屋良長ウェブサイトに載っている「菓子見本帖と小噺」を参照すると、亀屋良永の「蓬莱山」は、~黒こしあんの上用饅頭の周りにきんとんをつけて、華やかなお祝いのお菓子~ です。
亀屋良長は2019年12月1日に京都・北野天満宮で行われた献茶祭の菓匠会協賛席「同人作品展示 菓題:(令和を迎えて)祝い・よろこび」において、「寿ぎ」という菓銘の創作菓子を出展しました。
~ 亀屋良長「寿ぎ」、2019年12月1日に開かれた北野天満宮献茶祭「菓匠会協賛席」で撮影。
このお菓子を半分に切って中を確認したわけではありませんが、ソフトボール大の薯蕷饅頭にそぼろ状のきんとんをつけたお菓子、すなわち亀屋良長の「蓬莱山」(子持饅頭ではない)と同じだと思いました。
亀屋良長の「蓬莱山」が子持饅頭ではないのに対し、「菓匠会」同人の笹屋伊織の「蓬莱山」は、次の写真の通り、子持饅頭をそぼろ状のきんとんで飾った饅頭です。
~ 2019年3月6日に名古屋・名鉄百貨店本店本館9階のバンケットルームで行われた笹屋伊織女将塾「愛される所作~桃花色の会」で撮影。
前記事に引用した虎屋文庫「和菓子を愛した人たち」の「近衛内前と蓬が嶋-関白殿下のオートクチュール菓子-」項に、虎屋の現在の「蓬が嶋」についての説明が載っています。
■「近衛内前と蓬が嶋-関白殿下のオートクチュール菓子-」
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ちなみに、現在虎屋の「蓬が嶋」は、赤・白・緑・黄・紫の五色の餡の小饅頭を入れた華やかな饅頭で、子孫繁栄にも通じるおめでたい菓子として、慶事に用いられています。
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・出所:虎屋文庫「和菓子を愛した人たち」190ページ
虎屋の「蓬が嶋」は現在、慶事用として用いられているそうですが、使われる機会は限られていると思われます。江戸時代から虎屋に伝わる「蓬が嶋」〔初出:宝暦12年(1762年)〕、また他の和菓子屋が作る「蓬莱山」、「蓬莱饅頭」などの子持饅頭がこれからも後世に引き継がれていくことが望まれます。
♪ ~寿ぎの和菓子「蓬莱山」(子持饅頭)~ 全4記事。完。
寿ぎの和菓子「蓬莱山」(子持饅頭) -(3)子持饅頭の異名の「蓬莱山」の定義、解説など- [甘いもの(和菓子・スイーツ・パン)]
♪ 寿ぎの和菓子「蓬莱山」(子持饅頭) -(2)「和菓子にみる蓬莱」- の続き
井伊直弼が茶会で用いた子持饅頭の異名である「蓬莱山」について、虎屋文庫の山中圭子さんが書いた「事典 和菓子の世界(増補改訂版)」(岩波書店、2018年3月28日発行)に、次の解説が載っています。
■事典 和菓子の世界(増補改訂版)による「蓬莱山」の解説
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蓬莱山とは、中国の古代思想に由来する理想郷のこと。東方の海上にあり、不老不死の神仙が住むといい、その意匠は日本でも平安時代から漆器や鏡などに用いられた。祝儀や酒宴の飾り物とされた蓬莱台(洲浜台とも)もこの島をイメージしており、松竹梅や鶴亀の作りものを添えて豪華に仕立てていた。現在も歌舞伎や文楽などの舞台の小道具として使われている。
菓子では「蓬莱饅頭」「蓬莱島」「蓬が嶋(よもがしま)」などの名前で、小さな饅頭入りの大きな饅頭として作られることが多い。小饅頭の餡は、紅や黄・白・緑・紫などで、大饅頭を真中で半分に切るとその彩りが見える。「子持ち饅頭」という別称もあり、子孫繁栄の願いを込めているのだろう。
虎屋の「蓬が嶋」は宝暦12(1762)年10月6日、時の摂政近衛内前(このえうちさき)が銘をつけたもの。史料によれば、このときの饅頭の中には小倉餡の小饅頭が20個入っており、しかも小饅頭の間には「くりの粉」(栗餡か)が詰まっていたという。饅頭の数の多さには驚かされるが、栗の粉の部分はどのような味だったのだろうか。 ※下線は wattana が引いた。
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・出所:中山圭子著「事典 和菓子の世界(増補改訂版)」262~263ページ
近衛内前が「蓬が嶋」と銘じたエピソードについては、虎屋文庫編「和菓子を愛した人たち」(山川出版社、2017年5月31日発行)の「近衛内前と蓬が嶋-関白殿下のオートクチュール菓子-」の項に詳細が載っています。
■「近衛内前と蓬が嶋-関白殿下のオートクチュール菓子-」(抜粋)
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「蓬が嶋」を例にとると、銘を清書した折紙と、その文字を書したのが「佐竹石見守」(近衛家の事務をつかさどっていた家司)である旨を記した包み紙。御銘頂戴の経緯を綴った書面の三点があります。書面には宝暦12年(1762)10月6日、内前のお好みで作った饅頭を差し上げたところ、すぐに名前を付けていただいたと記されています。「蓬が嶋」とは中国の伝説上の理想郷で、不老不死の仙人が住むとされる蓬莱山の別名。差し上げた饅頭は、大きな饅頭の中に小倉餡の小饅頭が20個、小饅頭のあいだには「くりの粉」(栗餡か)が詰まったものでした。栗をたっぷり使ったところが内前好みだったのでしょうか。祖父にあたる家煕(いえひろ)には虎屋の栗菓子にまつわるエピソードがありますので、栗好きの血筋だったのかもしれません。※下線は wattana が引いた。
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・出所:虎屋文庫「和菓子を愛した人たち」189~190ページ
さて、京都府は2019年9月6日、「京上菓子」を「京もの伝統食品」に指定しました(京都府告示第191号)。
京都府ホームページの「京菓子の京もの伝統食品指定について」を参照すると、(京菓子の)蓬莱山について次の説明(定義?)が載っていますが、ある京菓子屋さんのホームページに載っている「蓬莱山」の説明とまったく同じです。
井伊直弼が茶会で用いた子持饅頭の異名である「蓬莱山」について、虎屋文庫の山中圭子さんが書いた「事典 和菓子の世界(増補改訂版)」(岩波書店、2018年3月28日発行)に、次の解説が載っています。
■事典 和菓子の世界(増補改訂版)による「蓬莱山」の解説
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蓬莱山とは、中国の古代思想に由来する理想郷のこと。東方の海上にあり、不老不死の神仙が住むといい、その意匠は日本でも平安時代から漆器や鏡などに用いられた。祝儀や酒宴の飾り物とされた蓬莱台(洲浜台とも)もこの島をイメージしており、松竹梅や鶴亀の作りものを添えて豪華に仕立てていた。現在も歌舞伎や文楽などの舞台の小道具として使われている。
菓子では「蓬莱饅頭」「蓬莱島」「蓬が嶋(よもがしま)」などの名前で、小さな饅頭入りの大きな饅頭として作られることが多い。小饅頭の餡は、紅や黄・白・緑・紫などで、大饅頭を真中で半分に切るとその彩りが見える。「子持ち饅頭」という別称もあり、子孫繁栄の願いを込めているのだろう。
虎屋の「蓬が嶋」は宝暦12(1762)年10月6日、時の摂政近衛内前(このえうちさき)が銘をつけたもの。史料によれば、このときの饅頭の中には小倉餡の小饅頭が20個入っており、しかも小饅頭の間には「くりの粉」(栗餡か)が詰まっていたという。饅頭の数の多さには驚かされるが、栗の粉の部分はどのような味だったのだろうか。 ※下線は wattana が引いた。
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・出所:中山圭子著「事典 和菓子の世界(増補改訂版)」262~263ページ
近衛内前が「蓬が嶋」と銘じたエピソードについては、虎屋文庫編「和菓子を愛した人たち」(山川出版社、2017年5月31日発行)の「近衛内前と蓬が嶋-関白殿下のオートクチュール菓子-」の項に詳細が載っています。
■「近衛内前と蓬が嶋-関白殿下のオートクチュール菓子-」(抜粋)
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「蓬が嶋」を例にとると、銘を清書した折紙と、その文字を書したのが「佐竹石見守」(近衛家の事務をつかさどっていた家司)である旨を記した包み紙。御銘頂戴の経緯を綴った書面の三点があります。書面には宝暦12年(1762)10月6日、内前のお好みで作った饅頭を差し上げたところ、すぐに名前を付けていただいたと記されています。「蓬が嶋」とは中国の伝説上の理想郷で、不老不死の仙人が住むとされる蓬莱山の別名。差し上げた饅頭は、大きな饅頭の中に小倉餡の小饅頭が20個、小饅頭のあいだには「くりの粉」(栗餡か)が詰まったものでした。栗をたっぷり使ったところが内前好みだったのでしょうか。祖父にあたる家煕(いえひろ)には虎屋の栗菓子にまつわるエピソードがありますので、栗好きの血筋だったのかもしれません。※下線は wattana が引いた。
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・出所:虎屋文庫「和菓子を愛した人たち」189~190ページ
さて、京都府は2019年9月6日、「京上菓子」を「京もの伝統食品」に指定しました(京都府告示第191号)。
京もの伝統食品「京上菓子」の定義: 京都で育まれた王朝文化、茶道文化等を基に成立した芸術的な食べ物であって、次のとおり、伝統的で厳選された用途、材料、工程で製造されたものを「京上菓子」として「京もの伝統食品」に指定しました(令和元年9月6日告示。申請者:一般社団法人京都府食品産業協会(京菓子協同組合:江戸時代に結成され、幕府より上白砂糖の使用を許可された「上菓子屋仲間」がルーツ)。 ・出所:京都府ホームページ(「京上菓子」の「京もの伝統食品」指定について)
京都府ホームページの「京菓子の京もの伝統食品指定について」を参照すると、(京菓子の)蓬莱山について次の説明(定義?)が載っていますが、ある京菓子屋さんのホームページに載っている「蓬莱山」の説明とまったく同じです。
京都府による「蓬莱山」の説明(定義?): 蓬莱山。中国より伝わる不老不死の理想郷の意。色とりどりの小さな薯蕷まんじゅうを更に小豆漉餡で包み、薯蕷まんじゅうに仕上げた、子々孫々の繁栄を祈る子持ち饅頭。 ・出所:京都府ホームページ(「京上菓子」の「京もの伝統食品」指定について)
♪ 寿ぎの和菓子「蓬莱山」(子持饅頭) -(4)現在の「蓬莱山」(子持饅頭)- へ続く
寿ぎの和菓子「蓬莱山」(子持饅頭) -(2)「和菓子にみる蓬莱」- [甘いもの(和菓子・スイーツ・パン)]
♪ 寿ぎの和菓子「蓬莱山」(子持饅頭) -(1) 彦根城博物館テーマ展「蓬莱-寿ぎの文様-」- の続き
彦根城博物館テーマ展「蓬莱-寿ぎの文様-」においては「和菓子にみる蓬莱」と題したコーナーがあり、井伊家13代直弼が敬愛する茶の湯の師、片桐宗猿を招いた茶会で蓬莱山の異名がある子持饅頭を用いたことが紹介されています。
■テーマ展「蓬莱-寿ぎの文様-」における「和菓子にみる蓬莱」
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古来、日本で愛されてきた和菓子の中にも、蓬莱の姿を見ることができます。例えば、一つの饅頭の中に小さな饅頭がたくさん詰まった子持饅頭は、中央で切り分けた際の切り口が、岩が重なり合ってそびえ立つ蓬莱山の形を想起させるため、蓬莱山の異名があります。この菓子は、現在も結婚祝いなどの慶事に用いられています。
江戸時代後期の代表的な大名茶人として名高い井伊家13代直弼も、敬愛する茶の湯の師、片桐宗猿を招いた茶会で子持饅頭を用いています。翌々月には数えで84歳となる宗猿の長寿を願ってこの菓子が選ばれたと考えられます。 ※下線は wattana が引いた。
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・出所:彦根城博物館テーマ展「蓬莱-寿ぎの文様-」の展示パネル
さて、「和菓子にみる蓬莱」コーナーには、虎屋「蓬が嶋(よもがしま)」(写真展示)、直弼が江戸で開いた茶会の記録である「東都水屋帳」(写真展示)および井伊直弼作「多賀神社杓子菓子器」の3点が参考出展されていました。
~ 井伊直弼作「多賀神社杓子菓子器」、井伊直弼自作の菓子器。
延命長寿の御利益があることで知られる多賀大社の「お多賀杓子」の柄を切り落として仕立てた品です。安政4年(1857)11月27日の井伊直弼の茶会で、子持饅頭を載せて用いられました。他に、寿字文の棗もこの茶会で用いられており、子持饅頭とともにめでた尽くしの会だったことがうかがわれます(展示解説より引用)。
~ 井伊直弼筆「東都水屋帳」(写真)
♪ 寿ぎの和菓子「蓬莱山」(子持饅頭) -(3)子持饅頭の異名の「蓬莱山」の定義、解説など - へ続く。
寿ぎの和菓子「蓬莱山」(子持饅頭) -(1) 彦根城博物館テーマ展「蓬莱-寿ぎの文様-」- (全4記事) [甘いもの(和菓子・スイーツ・パン)]
国宝・彦根城が建つ彦根山(金亀山)の麓にある彦根城博物館は、1987年(昭和62年)2月11日に彦根市市政50周年を記念して開館したミュージアムで、その建物は彦根藩の政所であった表御殿を復元したものです。同館が所蔵する資料は9万1千件を超え、そのうち約4万5千件が井伊家に伝わる美術工芸品や古文書だそうです。
~ 国宝彦根城の内堀にかかる表門橋の先に彦根城博物館が見えます。
※今回の記事に掲載した写真はすべて2020年1月4日に撮影したものです。
さて、彦根城博物館において2020年1月1日(水曜日/祝日)より1月26日(日曜日)まで、テーマ展「蓬莱(ほうらい)-寿ぎの文様-」が開催されました。
~ テーマ展「蓬莱-寿ぎの文様-」が開催されていた彦根城博物館展示室1。
同館展示室1で行われてたテーマ展「蓬莱-寿ぎの文様-」は、「蓬莱-遥かなる理想郷-」および「寿ぎの蓬莱意匠」(蓬莱台と蓬莱飾り/蓬莱の文様/能に見る「蓬莱」/和菓子にみる「蓬莱」)で構成されており、古代中国の神仙思想に由来する理想郷としての「蓬莱」にまつわる作品30点ほどが展示されていました。
テーマ展「蓬莱-寿ぎの文様-」の配布資料を参照すると、「蓬莱-寿ぎの文様-」の変遷について次の解説が載っています。
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(略)蓬莱伝説は早くから日本に伝えられ、不老不死や延命長寿を叶える理想郷として人々を魅了しました。平安時代に成立した『竹取物語』においては、蓬莱の玉の枝が得難い宝物として描かれ、同じく平安時代に著された『紫式部日記』や『御堂関白記』などには、蓬莱を象った作りものの台が祝宴の飾りや婚礼の祝儀物として用いられる様子が記されています。これらの記録から、平安時代、蓬莱は単なる仙境ではなく、風流や吉祥を象徴する存在となっていたと考えられます。それを反映するかのように、この時代以降、様々な美術工芸品の意匠として蓬莱が表現されるようになりました。
当初、蓬莱意匠の多くは、水上の岩山に長寿を象徴する常緑の松と、同じく長寿を象徴する鶴亀を配した姿で表されました。この表現は更に展開し、鎌倉時代には竹、室町時代には梅が加えられ、鶴亀と松竹梅という現代につながる吉祥尽くしの意匠へと変化を遂げました。いつしか水上の岩山という表現も装飾的な流水や洲浜に置き換えられ、江戸時代に到り、蓬莱は典型的な吉祥の画題として、あるいは婚礼調度などの調度品を飾る吉祥文様として表されるようになり、より多くの人に親しまれるようになります。 ※下線は wattana が引いた。
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・出所:彦根城博物館テーマ展「蓬莱-寿ぎの文様-」配布資料
テーマ展「蓬莱-寿ぎの文様-」において展示されていた作品30点ほどの中から4点の写真を載せましたのでご覧ください。
~ 側次 紺地波に仙島文様(江戸時代 裂は中国・清時代)。裾に、荒波の中の険しい岩島が描かれ、島の周りを鳳凰が飛び、雲気が立ちこめる様子が表されている。
~ 狩野英信「蓬莱図」6曲1双(江戸時代)。
~ 蓬莱文柄鏡(径24.4cm、江戸時代)。鏡の背面に水辺の松竹梅に鶴亀をあしらった蓬莱文。
~ 蓬莱文中啓(江戸時代)。松竹梅と鶴亀、波という典型的な蓬莱の意匠の翁扇・
~ 国宝彦根城の内堀にかかる表門橋の先に彦根城博物館が見えます。
※今回の記事に掲載した写真はすべて2020年1月4日に撮影したものです。
♪ 彦根城博物館は2020年4月23日(木曜日)まで、新型コロナウイルス感染症の拡大防止のため臨時休館中です。同館の最新の休館情報につきましては、彦根城博物館のホームページでご確認願います。 → こちら http://hikone-castle-museum.jp/
さて、彦根城博物館において2020年1月1日(水曜日/祝日)より1月26日(日曜日)まで、テーマ展「蓬莱(ほうらい)-寿ぎの文様-」が開催されました。
~ テーマ展「蓬莱-寿ぎの文様-」が開催されていた彦根城博物館展示室1。
同館展示室1で行われてたテーマ展「蓬莱-寿ぎの文様-」は、「蓬莱-遥かなる理想郷-」および「寿ぎの蓬莱意匠」(蓬莱台と蓬莱飾り/蓬莱の文様/能に見る「蓬莱」/和菓子にみる「蓬莱」)で構成されており、古代中国の神仙思想に由来する理想郷としての「蓬莱」にまつわる作品30点ほどが展示されていました。
テーマ展「蓬莱-寿ぎの文様-」の配布資料を参照すると、「蓬莱-寿ぎの文様-」の変遷について次の解説が載っています。
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(略)蓬莱伝説は早くから日本に伝えられ、不老不死や延命長寿を叶える理想郷として人々を魅了しました。平安時代に成立した『竹取物語』においては、蓬莱の玉の枝が得難い宝物として描かれ、同じく平安時代に著された『紫式部日記』や『御堂関白記』などには、蓬莱を象った作りものの台が祝宴の飾りや婚礼の祝儀物として用いられる様子が記されています。これらの記録から、平安時代、蓬莱は単なる仙境ではなく、風流や吉祥を象徴する存在となっていたと考えられます。それを反映するかのように、この時代以降、様々な美術工芸品の意匠として蓬莱が表現されるようになりました。
当初、蓬莱意匠の多くは、水上の岩山に長寿を象徴する常緑の松と、同じく長寿を象徴する鶴亀を配した姿で表されました。この表現は更に展開し、鎌倉時代には竹、室町時代には梅が加えられ、鶴亀と松竹梅という現代につながる吉祥尽くしの意匠へと変化を遂げました。いつしか水上の岩山という表現も装飾的な流水や洲浜に置き換えられ、江戸時代に到り、蓬莱は典型的な吉祥の画題として、あるいは婚礼調度などの調度品を飾る吉祥文様として表されるようになり、より多くの人に親しまれるようになります。 ※下線は wattana が引いた。
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・出所:彦根城博物館テーマ展「蓬莱-寿ぎの文様-」配布資料
テーマ展「蓬莱-寿ぎの文様-」において展示されていた作品30点ほどの中から4点の写真を載せましたのでご覧ください。
~ 側次 紺地波に仙島文様(江戸時代 裂は中国・清時代)。裾に、荒波の中の険しい岩島が描かれ、島の周りを鳳凰が飛び、雲気が立ちこめる様子が表されている。
~ 狩野英信「蓬莱図」6曲1双(江戸時代)。
~ 蓬莱文柄鏡(径24.4cm、江戸時代)。鏡の背面に水辺の松竹梅に鶴亀をあしらった蓬莱文。
~ 蓬莱文中啓(江戸時代)。松竹梅と鶴亀、波という典型的な蓬莱の意匠の翁扇・
♪ 寿ぎの和菓子「蓬莱山」(子持饅頭) -(2)「和菓子にみる蓬莱」- へ続く。