嶋小のだんご@嶋小餅店〔三重県四日市市〕 [四日市の和菓子屋さんめぐり]
2019年9月1日(日曜日)の午前11時30分頃、四日市市川原町の「嶋小餅店」へ行ってきました。
~ 焼きたての 香りなつかし 嶋小のだんご 本家製造元~。
旧東海道沿いにある「嶋小餅店」、創業は文政年間(1818~1829年)だそうです。
さて、「嶋小餅店」の店内にあるテーブル席で、嶋小の団子とおはぎを食べました。
~ 嶋小の団子は、甘くない醤油味のだんごです。
さっぱりしているので、何本でも食べることができそうです。
嶋小餅店で、今年2019年6月1日に開館した「東海道四日市宿資料館」(四日市市北町3番19号)を紹介してもらいました。
~ 嶋小餅店から歩いて5~6分ほどの「東海道四日市宿資料館」、旧東海道を歩くときに役立つ情報などを入手することができます。
「嶋小餅店」を起点に今秋、四日市市の旧東海道沿いにある和菓子店めぐりをする予定です。
☆ 「嶋小(しまこ)餅店」(三重県四日市市川原町22-2)
~ 焼きたての 香りなつかし 嶋小のだんご 本家製造元~。
旧東海道沿いにある「嶋小餅店」、創業は文政年間(1818~1829年)だそうです。
さて、「嶋小餅店」の店内にあるテーブル席で、嶋小の団子とおはぎを食べました。
~ 嶋小の団子は、甘くない醤油味のだんごです。
さっぱりしているので、何本でも食べることができそうです。
「嶋小餅店」 ~屋号の「嶋小」の由来~ 創業者の小四郎さんは、文政年間(1818~1829年)に桑名郡から四日市川原町の東海道沿いで島紬(しまつむぎ)の反物商を始めたそうです。しかし、商売はあまりうまく行かなかったので、江戸へ行き、団子の修業をしたそうです。修業を終え、四日市に戻った小四郎さんは、島紬の島と自分の名前の小四郎を合わせた「嶋小」という屋号の団子屋を始めたそうです。
嶋小餅店で、今年2019年6月1日に開館した「東海道四日市宿資料館」(四日市市北町3番19号)を紹介してもらいました。
~ 嶋小餅店から歩いて5~6分ほどの「東海道四日市宿資料館」、旧東海道を歩くときに役立つ情報などを入手することができます。
「嶋小餅店」を起点に今秋、四日市市の旧東海道沿いにある和菓子店めぐりをする予定です。
☆ 「嶋小(しまこ)餅店」(三重県四日市市川原町22-2)
嶋小の団子@嶋小餅店 [四日市の和菓子屋さんめぐり]
2017年10月4日(火曜日)の午前10時45分頃、四日市市川原町の「嶋小餅店」へ行ってきました。
~ 焼きたての 香りなつかし 嶋小のだんご~。
~ 「嶋小餅店」、創業は文政年間(1818~1829年)だそうです。
さて、「嶋小餅店」の店内にあるテーブル席で、嶋小の団子といばら餅を食べました。
~ 嶋小の団子は、甘くない醤油味のだんごです。
さっぱりしているので、何本でも食べることができそうです。
いばら餅は、粒あん入りのお餅です。
☆ 「嶋小(しまこ)餅店」(三重県四日市市川原町22-2)
☆ 2017年10月5日(木曜日)午前10時45分頃利用
~ 焼きたての 香りなつかし 嶋小のだんご~。
~ 「嶋小餅店」、創業は文政年間(1818~1829年)だそうです。
さて、「嶋小餅店」の店内にあるテーブル席で、嶋小の団子といばら餅を食べました。
~ 嶋小の団子は、甘くない醤油味のだんごです。
さっぱりしているので、何本でも食べることができそうです。
いばら餅は、粒あん入りのお餅です。
「嶋小餅店」 ~屋号の「嶋小」の由来~ 創業者の小四郎さんは、文政年間(1818~1829年)に桑名郡から四日市川原町の東海道沿いで島紬(しまつむぎ)の反物商を始めたそうです。しかし、商売はあまりうまく行かなかったので、江戸へ行き、団子の修業をしたそうです。修業を終え、四日市に戻った小四郎さんは、島紬の島と自分の名前の小四郎を合わせた「嶋小」という屋号の団子屋を始めたそうです。
☆ 「嶋小(しまこ)餅店」(三重県四日市市川原町22-2)
☆ 2017年10月5日(木曜日)午前10時45分頃利用
四日市名物なが餅の「なが餅笹井屋 本店」へ行ってきました 〔天文19(1550)年創業の老舗〕 [四日市の和菓子屋さんめぐり]
「四日市の和菓子屋さんめぐり」を始めるきっかけとなったのは、一枚の手書き地図です。
今年2013年6月9日(日曜日)の午前中、鵜の森公園にある四日市市茶室「泗翠庵(しすいあん)」を利用した後、四日市市街地の旧東海道沿いにある数軒の和菓子屋さんを訪れました。
最初に訪れたのが、創業宝暦年間(1752~1765年)の御菓子所「紅屋」(四日市市中部11-5)です。
~ 2013年7月28日(日曜日)に利用した時に撮った写真です。
御菓子所「紅屋」のご主人が書いて下さったのが、冒頭の地図です。
この1枚の手書き地図がきっかけ、そして縁となり、「四日市の和菓子屋さんめぐり」が始まりました。
調査も行いました。
「四日市市市立図書館」の地域資料室、「じばさん三重」(三重北勢地域地場産業振興センター)、古書の博物館「西尾市岩瀬文庫」(愛知県西尾市)などを訪れ、四日市の和菓子に関する資料を閲覧または入手しました。
さて、2013年9月12日(木曜日)午前10時半過ぎに、四日市市北町の旧東海道沿いにある四日市名物なが餅の「なが餅笹井屋 本店」へ行ってきました。
「なが餅笹井屋」は、天文19(1550)年創業の和菓子屋です。
本店の他に、三ツ谷店(四日市市三ツ谷町)があります。
~ 2013年6月19日(水曜日)に撮った「なが餅笹井屋 三ツ谷店」です。
創業の地は、旧東海道の日永(現在の日永1丁目)の鹿化川と大宮神明社の間辺りです。
~ 2013年7月28日(日曜日)に、鹿化川(かばけがわ)にかかる鹿化橋付近から大宮神明社方面を撮った写真です。
鹿化橋の南側辺りには昔、昭和30年頃に四日市市北町へ移転した「なが餅笹井屋」などの複数の永餅屋さんがあったそうです。
「なが餅笹井屋 本店」では、竹包み7個入りの「なが餅」を買いました。
630円(税込)。
「なが餅笹井屋」では、ばら売り(1個売り)はしておらず、竹包み7個入りが最小販売ロット品です。
~ 竹包みと称していますが、竹皮柄の包装紙を使っています。
竹皮柄の包装紙を開けると、個包装された7個のなが餅がトレ―パックに入っていました。
「なが餅笹井屋」の栞を見るとなが餅は、長餅(と餅)、永餅、日永の餅、笹餅、牛の舌などと呼ばれたこともあるそうです。
四日市で最も古い和菓子屋「なが餅笹井屋 本店」で今回、四日市名物なが餅を買ったことで、わたしの「四日市和菓子屋さんめぐり」は一区切りがつきました。
☆ 四日市名物なが餅の「なが餅笹井屋 本店」
(三重県四日市市北町5-13)
★ 2013年9月12日(木曜日)午前10時35分頃利用
今年2013年6月9日(日曜日)の午前中、鵜の森公園にある四日市市茶室「泗翠庵(しすいあん)」を利用した後、四日市市街地の旧東海道沿いにある数軒の和菓子屋さんを訪れました。
最初に訪れたのが、創業宝暦年間(1752~1765年)の御菓子所「紅屋」(四日市市中部11-5)です。
~ 2013年7月28日(日曜日)に利用した時に撮った写真です。
御菓子所「紅屋」のご主人が書いて下さったのが、冒頭の地図です。
この1枚の手書き地図がきっかけ、そして縁となり、「四日市の和菓子屋さんめぐり」が始まりました。
調査も行いました。
「四日市市市立図書館」の地域資料室、「じばさん三重」(三重北勢地域地場産業振興センター)、古書の博物館「西尾市岩瀬文庫」(愛知県西尾市)などを訪れ、四日市の和菓子に関する資料を閲覧または入手しました。
さて、2013年9月12日(木曜日)午前10時半過ぎに、四日市市北町の旧東海道沿いにある四日市名物なが餅の「なが餅笹井屋 本店」へ行ってきました。
「なが餅笹井屋」は、天文19(1550)年創業の和菓子屋です。
本店の他に、三ツ谷店(四日市市三ツ谷町)があります。
~ 2013年6月19日(水曜日)に撮った「なが餅笹井屋 三ツ谷店」です。
創業の地は、旧東海道の日永(現在の日永1丁目)の鹿化川と大宮神明社の間辺りです。
~ 2013年7月28日(日曜日)に、鹿化川(かばけがわ)にかかる鹿化橋付近から大宮神明社方面を撮った写真です。
鹿化橋の南側辺りには昔、昭和30年頃に四日市市北町へ移転した「なが餅笹井屋」などの複数の永餅屋さんがあったそうです。
「なが餅笹井屋 本店」では、竹包み7個入りの「なが餅」を買いました。
630円(税込)。
「なが餅笹井屋」では、ばら売り(1個売り)はしておらず、竹包み7個入りが最小販売ロット品です。
~ 竹包みと称していますが、竹皮柄の包装紙を使っています。
竹皮柄の包装紙を開けると、個包装された7個のなが餅がトレ―パックに入っていました。
「なが餅笹井屋」の栞を見るとなが餅は、長餅(と餅)、永餅、日永の餅、笹餅、牛の舌などと呼ばれたこともあるそうです。
四日市で最も古い和菓子屋「なが餅笹井屋 本店」で今回、四日市名物なが餅を買ったことで、わたしの「四日市和菓子屋さんめぐり」は一区切りがつきました。
☆ 四日市名物なが餅の「なが餅笹井屋 本店」
(三重県四日市市北町5-13)
★ 2013年9月12日(木曜日)午前10時35分頃利用
「日永の追分」から「四日市宿」まで東海道を歩きました 〔四日市の和菓子屋さんめぐり(8)〕 [四日市の和菓子屋さんめぐり]
2013年7月28日(日曜日)、みえ歴史街道構想四日市地域推進協議会と三重県四日市地域防災総合事務所が主催した
「日永の追分から東海道をあるく」
~内部・八王子線に乗って~
に参加しました(参加費:無料)。
♪ 協賛 : 四日市市・菰野町・朝日町・川越町
♪ 協力 : 日永郷土史研究会、東海道日永郷土資料館
集合場所は、近鉄内部(うつべ)線の追分駅前。受付開始は、午前8時30分。
~ 近鉄四日市を午前8時14分に発車する近鉄内部線「内部行」に乗車、「追分」に時刻表通りの8時26分に到着。
~ 追分駅の近くの東海道沿いに以前、和菓子屋さんがありましたが、残念なことに今は営業していません。
起点の追分駅前を午前9時5分過ぎにスタート。
~ スタート前に撮った追分駅前の写真です。午前8時43分発「四日市行」の電車がホームに停車中です。
さて、最初に見学をしたのは「日永の追分」。
~ 東海道(右)と伊勢街道(左)の分岐点です。
次の見学地は、7月28日が開館初日の「東海道日永郷土資料館」。
~ 日永の歴史などについてのお話を聞き、館内を見学しました。
「東海道日永郷土資料館」を見学した後、東海道を北(「四日市宿」方面)へと歩きました。
日永の一里塚、日永神社を見学した後、三重県指定伝統工芸品の「日永うちわ」を製造している日永2丁目にある株式会社稲藤(いなとう)を訪ねました。
明治14(1881)年創業の稲藤は、「日永うちわ」を作っている唯一の会社だそうです。
稲藤の稲垣社長から「日永うちわ」の歴史などのお話を聞いた後、「日永うちわ」の製造(すべて手作り)を見学しました。
稲藤の見学で、「日永の追分から東海道をあるく」の全行程が終了。
稲藤から遠くない南日永駅から内部線に乗って近鉄四日市駅に行く方法がありますが、わたしは「四日市宿」を目指して東海道をさらに北へと歩きました。
~ 団扇最中の太平屋老舗。
~ 鹿化川(かばけがわ)にかかる鹿化橋付近から大宮神明社方面を撮った写真です。鹿化橋の南側辺りには昔、昭和30年頃に四日市市北町へ移転した「笹井屋」などの複数の、なが餅屋さんがあったそうです。
鹿化橋からさらに「四日市宿」を目指し歩きましたが、あまりにも暑いので南浜田町で東海道から外れ、鵜の森公園へ向かいました。
鵜の森公園内にある四日市市茶室「泗翠庵(しすいあん)」でひと休み。
~ 諏訪栄町にある「芳乃舎」製のお菓子です(菓銘は「まりも(毬藻)」だったと思います)。
「泗翠庵」で涼をとった後、東海道へ戻り、さらに歩きました。
商店街(諏訪栄発展会と表参道スワマエ発展会)、諏訪神社前を通り、到着したのが、ここです。
~ 四日市市中部にある道標(複製)。「すぐ江戸道」の「すぐ」は、「まっすぐ」という意味だそうです。
ここまで、近鉄追分駅前から6kmほど歩きました。
今回の「東海道を歩く」は、ここで終了。
打ち上げは、道標(複製)の近くにある創業宝暦年間(1752~1765年)の御菓子所「紅屋」。
~ 水ようかんと「紅屋」の代表銘菓「汐見」をいただきました。
「日永の追分から東海道をあるく」
~内部・八王子線に乗って~
に参加しました(参加費:無料)。
♪ 協賛 : 四日市市・菰野町・朝日町・川越町
♪ 協力 : 日永郷土史研究会、東海道日永郷土資料館
集合場所は、近鉄内部(うつべ)線の追分駅前。受付開始は、午前8時30分。
~ 近鉄四日市を午前8時14分に発車する近鉄内部線「内部行」に乗車、「追分」に時刻表通りの8時26分に到着。
~ 追分駅の近くの東海道沿いに以前、和菓子屋さんがありましたが、残念なことに今は営業していません。
起点の追分駅前を午前9時5分過ぎにスタート。
~ スタート前に撮った追分駅前の写真です。午前8時43分発「四日市行」の電車がホームに停車中です。
さて、最初に見学をしたのは「日永の追分」。
~ 東海道(右)と伊勢街道(左)の分岐点です。
次の見学地は、7月28日が開館初日の「東海道日永郷土資料館」。
~ 日永の歴史などについてのお話を聞き、館内を見学しました。
「東海道日永郷土資料館」を見学した後、東海道を北(「四日市宿」方面)へと歩きました。
日永の一里塚、日永神社を見学した後、三重県指定伝統工芸品の「日永うちわ」を製造している日永2丁目にある株式会社稲藤(いなとう)を訪ねました。
明治14(1881)年創業の稲藤は、「日永うちわ」を作っている唯一の会社だそうです。
稲藤の稲垣社長から「日永うちわ」の歴史などのお話を聞いた後、「日永うちわ」の製造(すべて手作り)を見学しました。
稲藤の見学で、「日永の追分から東海道をあるく」の全行程が終了。
稲藤から遠くない南日永駅から内部線に乗って近鉄四日市駅に行く方法がありますが、わたしは「四日市宿」を目指して東海道をさらに北へと歩きました。
~ 団扇最中の太平屋老舗。
~ 鹿化川(かばけがわ)にかかる鹿化橋付近から大宮神明社方面を撮った写真です。鹿化橋の南側辺りには昔、昭和30年頃に四日市市北町へ移転した「笹井屋」などの複数の、なが餅屋さんがあったそうです。
鹿化橋からさらに「四日市宿」を目指し歩きましたが、あまりにも暑いので南浜田町で東海道から外れ、鵜の森公園へ向かいました。
鵜の森公園内にある四日市市茶室「泗翠庵(しすいあん)」でひと休み。
~ 諏訪栄町にある「芳乃舎」製のお菓子です(菓銘は「まりも(毬藻)」だったと思います)。
「泗翠庵」で涼をとった後、東海道へ戻り、さらに歩きました。
商店街(諏訪栄発展会と表参道スワマエ発展会)、諏訪神社前を通り、到着したのが、ここです。
~ 四日市市中部にある道標(複製)。「すぐ江戸道」の「すぐ」は、「まっすぐ」という意味だそうです。
ここまで、近鉄追分駅前から6kmほど歩きました。
今回の「東海道を歩く」は、ここで終了。
打ち上げは、道標(複製)の近くにある創業宝暦年間(1752~1765年)の御菓子所「紅屋」。
~ 水ようかんと「紅屋」の代表銘菓「汐見」をいただきました。
「みえ歴史街道ウォーキングマップ」と「近鉄内部線」 〔四日市の和菓子屋さんめぐり(7)〕 [四日市の和菓子屋さんめぐり]
四日市の和菓子屋さんめぐりで、とても役にたっているものが二つあります。
一つは、「みえ歴史街道ウォーキングマップ」です。
~ 三重県が発行している「みえ歴史街道ウォーキングマップ」の東海道編、伊勢街道編、伊勢別街道/伊勢本街道編です。
「みえ歴史街道ウォーキングマップ」は、三重県環境生活部文化振興課が設置管理しているウェブサイト「みえの歴史街道」からダウンロードすることができます。冊子を希望される方は、申し込めば(送料負担)郵送してくれます。
もう一つ役に立っているのが、近鉄内部(うつべ)線です。
※内部・八王子線とも呼ぶそうです。
近鉄内部線は、近鉄四日市~内部間を走る鉄道です。東海道の近くを走っているので、東海道を歩く時に便利です。
さて、2013年7月2日(火曜日)、東海道を歩いた時に近鉄内部線を利用しました。
~ 近鉄四日市駅を午前9時23分に発車する内部行に乗車しました。3両、ワンマン運転。
二つ目の日永駅で下車。
~ 駅舎の間に見える黄色い電車は、近鉄八王子線(日永~西日野)です。
日永駅から鹿化橋(かばけばし)まで歩き(戻り)、そこから采女町の采女の一里塚まで7km弱を歩きました。
帰りは、内部駅から近鉄四日市まで近鉄内部(うつべ)線を利用しました。
特殊狭軌というそうで、レールの間がとても狭い鉄道です。
エアコンはなく、扇風機です。
四日市市内の東海道(日永~追分~采女町)を歩くとき、「みえ歴史街道ウォーキングマップ」と「近鉄内部線」は欠かすことができないものです。
一つは、「みえ歴史街道ウォーキングマップ」です。
~ 三重県が発行している「みえ歴史街道ウォーキングマップ」の東海道編、伊勢街道編、伊勢別街道/伊勢本街道編です。
「みえ歴史街道ウォーキングマップ」は、三重県環境生活部文化振興課が設置管理しているウェブサイト「みえの歴史街道」からダウンロードすることができます。冊子を希望される方は、申し込めば(送料負担)郵送してくれます。
もう一つ役に立っているのが、近鉄内部(うつべ)線です。
※内部・八王子線とも呼ぶそうです。
近鉄内部線は、近鉄四日市~内部間を走る鉄道です。東海道の近くを走っているので、東海道を歩く時に便利です。
さて、2013年7月2日(火曜日)、東海道を歩いた時に近鉄内部線を利用しました。
~ 近鉄四日市駅を午前9時23分に発車する内部行に乗車しました。3両、ワンマン運転。
二つ目の日永駅で下車。
~ 駅舎の間に見える黄色い電車は、近鉄八王子線(日永~西日野)です。
日永駅から鹿化橋(かばけばし)まで歩き(戻り)、そこから采女町の采女の一里塚まで7km弱を歩きました。
帰りは、内部駅から近鉄四日市まで近鉄内部(うつべ)線を利用しました。
特殊狭軌というそうで、レールの間がとても狭い鉄道です。
エアコンはなく、扇風機です。
四日市市内の東海道(日永~追分~采女町)を歩くとき、「みえ歴史街道ウォーキングマップ」と「近鉄内部線」は欠かすことができないものです。