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京都生まれの6月30日の行事菓子「水無月」 [和菓子の京都]

「水無月」と呼ばれる三角形をした白い外郎に小豆を重ねた京都で生まれた行事菓子があります。

夏越祓(なごしのはらえ)の6月30日に「水無月」を食べる風習は今、京都から全国へと広がっています。

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~ 2019年6月23日に開かれた名古屋・城山八幡宮「洗心茶会」(三斎流抹茶席)における茶席菓子は、出雲・坂根屋の「水無月」でした。

「水無月」の販売時期はお菓子屋によって異なります。6月30日だけに販売するお菓子屋があれば、通年販売している餅屋もあるそうです。

事典 和菓子の世界 増補改訂版

事典 和菓子の世界 増補改訂版

  • 作者: 中山 圭子
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 2018/03/29
  • メディア: 単行本


さて、日本を代表する和菓子屋の株式会社虎屋が設立した菓子資料室「虎屋文庫」機関誌「和菓子(第9号)」(2002年3月20日発行)に掲載されている和菓子研究「水無月考」(浅田ひろみ・著)を参照すると、かつてはいろいろな形の「水無月」があったのが、三角形の「水無月」だけになった理由を著者の浅田ひろみさんは「京都の和菓子屋が6月30日の行事菓子に6月1日の行事を結び付けたから」と考察しています。

浅田ひろみさんがこの考察の参考にしたのは、菓匠会(※1)同人「三條若狭屋」二代目当主・藤本如泉さん(明治28年生まれ)が書いた「日本の菓子」(1968年7月10日河原書店発行)の次の文です。

お菓子の「水無月」は、生菓子の「氷室」より考案されたもので、加茂の水無月祓の神事にこじつけて、京都では、毎年6月30日に暑気払いのおまじないとして市民が頂くように、菓子屋の知恵で創られました。(「日本の菓子」206ページより引用。)


藤本如泉さんの解説に基づけば、氷に見立てた三角形をした白い外郎が「暑気払い」、外郎に重ねた赤い色(※2)の小豆が「邪気払い」の2つの行事を表す6月30日に食べる行事菓子「水無月」は、京菓子屋が創作した和菓子だということになります。

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~ 京都紫野・今宮神社の茅の輪くぐり、2018年6月25日撮影。

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~ 京菓匠「笹屋伊織」の水無月、2019年6月25日撮影。

「水無月」の三角形をした台の部分は白い外郎が基本ですが、黒砂糖、抹茶などの外郎を使った「水無月」が各地にあります。また、米粉だけを使った外郎だけでなく、葛粉、わらび粉などを合わせた外郎を使った「水無月」もあります。

昭和に入ってから京都で生まれた(※3)6月30日の行事菓子「水無月」は今、全国各地で定着しています。

*2019年6月25日に投稿した記事に一部加筆して投稿しました。

(※1):2022年6月26日時点の同人数17軒の「菓匠会」公式ウェブサイトを参照すると、菓匠会は「(略)江戸時代に至り幕府の要請により禁裏御用達業者の集まりである「上菓子屋仲間」を結成し、菓子業界の発展に寄与してきました。「上菓子」とは上等の菓子の意義ではなく、上納菓子、献上菓子の意から出ているのであります。 さて、明治維新になりまして東京への遷都と共に「上菓子屋仲間」は解散を余儀なくされましたので、優れた伝統を守るために仲間が新しく結成いたしましたのが現在の「菓匠会」であります。以来百十年、各会員は祖先の遺した「暖簾」を守り、技術の研鑚を積み、それぞれ特色ある優れた銘菓造りに励んで現在に至っております。」。


(※2):「古来、赤色は、太陽、茅、火を象徴する声明の色とされ、魔よけに使われており、小豆も赤に近い皮の色合いから、邪気を払うと信じられてきました。」・・・中山圭子・著「和菓子ものがたり」(朝日文庫)の280ページより引用。


(※3):中山圭子・著「事典 和菓子の世界」(岩波書店、2006年2月24日発行)136ページ参照。



事典 和菓子の世界 増補改訂版

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  • 作者: 中山 圭子
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 2018/03/29
  • メディア: 単行本



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三重県松阪市飯南町深野の「石積みだんだん茶園」 [伊勢茶]

2020年6月23日(火曜日)午後2時40分頃、休校中の松阪市立川俣小学校2階にある「大谷嘉兵衛資料館」(松阪市飯高町粟野481)から松阪駅へ向かう途中、日本の棚田百選認定「深野のだんだん田」(深野棚田)がある松阪市飯南町深野に立ち寄りました。

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~ 深野の夏明地区にある「石の芸術 深野棚田」案内板。

〔参考〕1999年7月に農林水産省が認定した「日本の棚田百選」の一つである「深野のだんだん田」は、認定当時のパンフレットを参照すると、「今から約430年以前(室町時代末期)から始められ当時深野上郷は北畠氏の重要な拠点であり、白猪山の西約1.5km付近に「のろし場」があり見張りの侍等が詰めており、その侍たちの食糧確保のため棚田が開墾されたといわれており、現在も水田として利用され、石積みは雑草もなくよく維持管理されている。」となっています。


200623飯南町深野02、夏明のだんだん茶園.JPG
~ 深野の夏明地区から見た「深野のだんだん田」(深野棚田)。

飯南町深野地区は、「だんだん田」(石積み棚田)が有名ですが、「だんだん茶園」(石積み茶園)もあります。

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~ 「だんだん田」の上に「だんだん茶園」(在来種)、その上に「茶山」(栃の木などの雑木林には茶株がある)があります。

この「だんだん茶園」は管理されている茶園ですが、所有者によると茶葉を摘採して緑茶に加工するための管理ではなく、景観を維持するために管理しているそうです。

200623飯南町深野04、夏明のだんだん茶園(石積み茶園).JPG

高齢化、後継者問題などによりこの景観をこれからも維持していくことのむつかしさを実感しました。

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「大谷嘉兵衛資料館」へ行ってきました〔(休校中の)松阪市立川俣小学校2階〕 [伊勢茶]

日本茶の輸出振興、品質向上などに貢献し茶業王、茶聖などと呼ばれた伊勢国飯高郡谷野(たんの)村(現在の松阪市飯高町宮本)に生まれた大谷嘉兵衛(1844~1933)は、19歳の1862年(文久2年)3月に横浜の製茶問屋「伊勢屋」に奉公しましたが、1867年(慶応3年)に意見の対立から伊勢屋を出てスミス・ベーカー商会の製茶バイヤーとなり活躍しました。

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~ 大谷嘉兵衛が8歳の時から読み書きそろばんを習った長楽寺(松阪市飯高町宮本304)境内にある「茶聖 大谷嘉兵衛翁」胸像。

茶の輸出量の増加とともに粗悪品が増えたため品質向上のための製茶共進会を開催するなど日本茶の品質向上に貢献した大谷嘉兵衛は、48歳の1891年(明治24年)に茶業組合中央会議所会頭(現在の日本茶業中央会会頭)に就任、1927年(昭和2年)まで日本の茶業界の陣頭に立ちました(参照:茶王 大谷嘉兵衛の会作成資料など)。

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~ 櫛田川に架かる「大谷橋」(松阪市飯高町富永)。

三重県教育委員会発行「三重の文化」(郷土の文化編)を参照すると、「大谷嘉兵衛はたびたび帰郷し、地元の小学校の建設、松阪港の整備や櫛田川に架かる大谷橋の建設など教育・産業文化、交通の整備などを積極的に支援し、郷土松阪の発展に貢献した」そうです。


大谷嘉兵衛翁伝―〈伝記〉大谷嘉兵衛 (伝記叢書 354)

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  • 出版社/メーカー: 大空社
  • 発売日: 2020/06/25
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さて、2020年6月23日(火曜日)午後0時50分頃、「大谷嘉兵衛資料館」がある川俣(かばた)小学校を訪ねました。

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~ 休校中の松阪市立川俣小学校(松阪市飯高町粟野481)。

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~ 川俣小学校校舎遠景。

「大谷嘉兵衛資料館」は川俣小学校の2階にあります。

200623茶山調査05「大谷嘉兵衛」14、大谷嘉兵衛資料展示室.JPG

「茶王 大谷嘉兵衛の会」の小林典子さん(元川俣小学校校長)および小林平八郎さん(元飯南中学校校長)より大谷嘉兵衛の生涯と功績などについてレクチャーを受けました。

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~ 「大谷嘉兵衛資料館」内。

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~ 大谷嘉兵衛にゆかりのある茶問屋などの茶箱。

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~ 川俣茶関連の資料。

「大谷嘉兵衛資料館」を観覧希望の場合は、「大谷嘉兵衛の会」事務局まで電話でお問い合わせください。

電話:(0598)45-0335 または 090-3151-7327

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とこなめ陶の森 陶芸研究所 企画展「瀧田家の廻船文書」と「江戸のキビショ」展 [常滑めぐり(愛知県常滑市)]

愛知県常滑市(とこなめし)の「とこなめ陶の森 陶芸研究所」において2020年7月26日(日曜日)まで、

 とこなめ陶の森 陶芸研究所 企画展
「瀧田家の廻船文書」と「江戸のキビショ」展

が開催されています。

この企画展「瀧田家の廻船文書」と「江戸のキビショ」展において、海難に関する文書、弁財船の造船や修理に関する文書、航海や乗組員である水主に関する文書が展示されています。また、瀧田家が廻船で活躍した江戸時代につくられた常滑のキビショ(急須)も展示されています。

200617とこなめ陶の森陶芸研究所02、企画展「瀧田家の廻船文書と江戸のキビショ」.JPG
~ とこなめ陶の森 陶芸研究所 企画展「瀧田家の廻船文書」と「江戸のキビショ」展のポスター。

・展覧会名:企画展「瀧田家の廻船文書」と「江戸のキビショ」」展
・会期  :2020年7月26日(日曜日)まで
・開館時間:午前9時~午後5時
・休館日 :月曜日(祝日の場合は翌日)
・観覧料 :無料


急須でお茶を―宜興・常滑・急須めぐり (INAXミュージアムブック)

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  • 出版社/メーカー: LIXIL出版
  • 発売日: 2018/07/20
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)


さて、2020年6月17日(水溶日)午前11時25分頃、「とこなめ陶の森 陶芸研究所」へ行ってきました。

200617とこなめ陶の森陶芸研究所01.JPG
~ とこなめ陶の森 陶芸研究所。

それでは、「とこなめ陶の森 陶芸研究所」の展示室において展示されていた「江戸のキビショ」の一部をご覧ください。

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~ 二代稲葉高道「白泥焼獅子摘急焼」。

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~ 二代伊奈長三「朱泥糸引急焼」。

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~ 二代伊奈長三「白泥藻掛急焼」。

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~ 初代松氏三光「白泥焼急焼」。

なお、「とこなめ陶の森 資料館」は、リニューアルオープン(2021年秋頃予定)に向けた工事のため休館中です。

200617とこなめ陶の森陶芸研究所16.JPG

☆ 「とこなめ陶の森陶芸研究所」
  (愛知県常滑市奥条7丁目22番地)

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土管工場をリノベーションしたカフェギャラリー「常滑屋」で常滑急須で淹れる煎茶セット [日本茶カフェ]

2020年6月17日(水曜日)午前10時20分頃、「常滑やきもの散歩道」にあるカフェギャラリー「常滑屋」へ行ってきました。

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~ 道路左側の手前から2軒目が「常滑屋」です。道路の先に見える白い橋は「いちき橋」です。

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~ 「常滑屋」は、土管工場の乾燥棟をリノベーションして1995年にオープンしたカフェギャラリーです(6月6日で満25歳になったそうです)。

4月より休業していた「常滑屋」、今月6月より営業を再開しています。


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さて、「常滑屋」でオーダーしたのは今回も、常滑急須で淹れる煎茶セットです。常滑急須が並んでいる棚から好みの急須を選ぶことができます(リクエストすれば、茶葉入れ、お盆も選ぶことができます)。

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煎茶セットには、地元の和菓子店「平八堂」(常滑市本町3-70)さんの和菓子が付いてきます。

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今回の和菓子は、平八堂「川辺の蛍」でした。

200617常滑屋06、煎茶セット.JPG

☆ カフェギャラリー「常滑屋」
 (愛知県常滑市栄町3丁目111番地)

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