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「美濃桃山陶」、美濃焼が最も輝いた時代 -(1)尼ヶ根古窯 -瀬戸黒のはじまり- [東美濃のミュージアム]

岐阜県多治見市にある多治見市文化財保護センターにおいて2020年1月14日(火曜日)から6月19日(金曜日)まで、企画展「尼ヶ根古窯-瀬戸黒のはじまり-」が開催されています。

200117多治見市文化財保護センター01、企画展「尼ヶ根古窯-瀬戸黒のはじまり-」.JPG
~ 多治見市文化財保護センター(岐阜県多治見市旭ヶ丘10-6-26)。

 ・企画展名:尼ヶ根古窯 -瀬戸黒のはじまり-
 ・会  期:2020年1月14日(火曜日)~6月19日(金曜日)
 ・開館時間:午前9時~午後5時(最終入館午後4時30分)
 ・休館日 :土・日・祝日
 ・入館料 :無料
 ・開催場所:多治見市文化財保護センター

尼ヶ根古窯は16世紀後半、千利休が活躍していた桃山時代に現在の多治見市小名田町で操業していた大窯で、瀬戸黒が最初に焼かれた窯だと言われています。

岐阜県道多治見御嵩線の改良工事に伴い1986年8月20日から1987年1月30日まで行われた緊急発掘調査の結果、大窯3基と(神や仏に供える器を焼いた)かわらけ窯1基などが確認されています。

尼ヶ根古窯群発掘調査報告書(編集・発行:多治見市教育委員会)によると尼ヶ根古窯の概要は次の通りです。

 ・遺跡名 :尼ヶ根1号窯・尼ヶ根2号窯・尼ヶ根3号窯・
       尼ヶ根4号窯・尼ヶ根窯工房跡
 ・窯の特徴:
   1号窯 茶陶、皿、鉢、瓶類等を焼く。初期の瀬戸黒を焼いた窯。
   2号窯 茶陶、皿、鉢、瓶類等を焼く。窯体がきれいに残っていた。
   3号窯 かわらけを焼いた窯。
   4号窯 茶陶、皿、瓶類等を焼く。灰志野と思われる製品が出土した。
       4基の中で一番新しい窯。
 ・遺跡所在地:岐阜県多治見市小名田町岩ヶ根11
 ・時代:安土桃山時代
 ・主な遺構:窯体(大窯)、物原、かわらけ窯、工房跡
 ・特記事項:瀬戸黒の筒型茶碗が出土。

200117多治見市文化財保護センター05、瀬戸黒(尼ヶ根古窯採集).JPG
~ 瀬戸黒茶碗(尼ヶ根古窯採集)。

200117多治見市文化財保護センター06、瀬戸黒(尼ヶ根古窯採集).JPG


縁に随う (1977年)

縁に随う (1977年)

  • 作者: 荒川 豊蔵
  • 出版社/メーカー: 日本経済新聞社
  • 発売日: 2020/09/13
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さて、瀬戸黒にスポットを当てた多治見市文化財保護センターにおける企画展「尼ヶ根古窯-瀬戸黒のはじまり-」においては、「瀬戸黒の変遷」、「瀬戸黒の高台」、「瀬戸黒の肌合い」などをテーマとした展示が行われています。

次の4枚の写真は、「瀬戸黒の変遷」コーナーで撮った写真です。

200117多治見市文化財保護センター07、瀬戸黒の変遷.JPG
~ 1.初期:高台が高く、腰は丸い。楽茶碗のような見た目。

200117多治見市文化財保護センター08、瀬戸黒の変遷.JPG
~ 2.高台が低く、腰が角張る。

200117多治見市文化財保護センター09、瀬戸黒の変遷.JPG
~ 3.口縁などが歪みはじめる。

200117多治見市文化財保護センター10、瀬戸黒の変遷.JPG
~ 4.線が刻まれたり、形が全体的に歪んで、作為が見られるようになる。

同企画展のパンフレットを参照すると、尼ヶ根古窯は「美濃桃山陶の礎となった窯」と位置付けられています。

尼ヶ根古窯では、初期の瀬戸黒茶碗、銅緑釉の製品、志野の全段階である灰志野と考えられる製品も出土していています。尼ヶ根古窯の遺物には、同種の製品でありながら、器形や釉薬のバリエーションがあるものがあり、これらは少量ずつ見つかっているため、製品ではなく試験的に焼かれたもので、新しい技術やデザインを開発していたと考えられます。尼ヶ根古窯は従来の唐物写しの茶陶生産から離れ、それまでにない独自の新しい技術とデザインにチャレンジした窯でした。桃山の茶陶が出現する転換期に操業した窯であり、その後の時代に続く浅間窯(可児市)などの大窯で瀬戸黒、黄瀬戸、志野などが展開していく礎となった窯であると考えられます。 ※出所:企画展「尼ヶ根古窯-瀬戸黒のはじまり-」のパンフレット。下線はwattana が引いた。
 


岐阜県文化財図録を参照すると、瀬戸黒は次の通り説明されています。

瀬戸黒は、志野・織部・黄瀬戸とともに桃山時代に美濃で焼かれた茶陶の制作技法である。釉は土灰(どばい)(雑木を焼いた灰)に鬼板(おにいた)(酸化鉄、マンガンなどを含む天然材料)等を合わせた鉄釉で、深みのある漆黒の釉調に特色がある。昼夜を分かたずに薪をくべた白熱の窯から、速やかに挟んで引き出し、冷水に浸して急冷したときに生ずる鉄釉の輝きと深みのある漆黒の釉調は人々を魅了するが、小さな引き出し口から茶碗を裸のまま取り出す工程と、窯中での場所が限定されるという制約と、何よりも色見の選択が作品の決定的な要因となり、長年の経験と技術が混然として生まれる焼き物である。焼成途中に引き出すことから「引き出し黒」とも呼ばれ、また、天正期(16世紀後半)に盛んに焼かれたことから、「天正黒(てんしょうぐろ)」とも呼ばれる。江戸期には衰退したが、昭和初期、荒川豊蔵(あらかわとよぞう)の古窯址の発見、技法の研究によりその技術が復興された。 ※出所:岐阜県文化財図録。下線は wattana が引いた。。


・・・「美濃桃山陶」、美濃焼が最も輝いた時代 -(2)美濃桃山陶と荒川豊蔵- へ続く。

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