本居宣長は、吉野、飛鳥への旅に「川上茶」を持参した [伊勢茶]
三重県松阪市生まれの日本古典研究家・本居宣長(1730~1801)が1794年(寛政6年)10月に御前講釈のために和歌山へ旅立ち、和歌山城の藩士たちへの挨拶回りの際に「川俣茶」(現在の松阪市飯南町・飯高町の櫛田川流域のお茶)をお土産として渡したことは、本居宣長が自ら記録した資料2点からわかっています。
本居宣長は、この和歌山への旅のほか、43歳の時、明和9年(1772年)3月5日から14日までの10日間で吉野、飛鳥を旅した時にも「川上茶」(現在の雲出川上流の津市美杉町川上のお茶)を持参しています。
このことは、この吉野、飛鳥へ旅した時の日記「菅笠日記」(すががさのにっき)に書いてあります。
さて、本居宣長記念館ウェブサイトの「ようこそ宣長ワールドへ」を参照すると、「菅笠日記」の行程が載っています。
この吉野、飛鳥への旅の最終日(10日目)の3月14日、本居宣長一行は次の行程で石名原から松坂へ戻っています。
■明和9年(1772年)3月14日の行程
~ 津市美杉町石野原の伊勢本街道に残る常夜灯(弘化元年=1844年)。
津市美杉町石野原の隣が美杉町川上です。
~ 津市美杉町川上の茶園。
~ 下多気と小川(津市美杉町下多気と松阪市嬉野上小川町)の境にある白口峠の下多気側に建つ案内板「明和9年本居宣長がここを通る」。
♪ 参照:拙ブログ記事 ~江戸時代の銘柄茶「川俣茶」(三重県松阪市飯高町・飯南町の櫛田川流域のお茶)~
本居宣長は、この和歌山への旅のほか、43歳の時、明和9年(1772年)3月5日から14日までの10日間で吉野、飛鳥を旅した時にも「川上茶」(現在の雲出川上流の津市美杉町川上のお茶)を持参しています。
このことは、この吉野、飛鳥へ旅した時の日記「菅笠日記」(すががさのにっき)に書いてあります。
さて、本居宣長記念館ウェブサイトの「ようこそ宣長ワールドへ」を参照すると、「菅笠日記」の行程が載っています。
この吉野、飛鳥への旅の最終日(10日目)の3月14日、本居宣長一行は次の行程で石名原から松坂へ戻っています。
■明和9年(1772年)3月14日の行程
石な原→(宣長は駕篭)→飼坂→峠の茶店・休憩→多気→真善院・北畠の八幡社・庭園→里の事行う者の家・資料閲覧・食事→真善院の前→下多気→小川→柚原→伊福田寺→与原→堀坂峠→伊勢寺→松坂
~ 津市美杉町石野原の伊勢本街道に残る常夜灯(弘化元年=1844年)。
津市美杉町石野原の隣が美杉町川上です。
~ 津市美杉町川上の茶園。
~ 下多気と小川(津市美杉町下多気と松阪市嬉野上小川町)の境にある白口峠の下多気側に建つ案内板「明和9年本居宣長がここを通る」。
江戸時代の銘柄茶「川俣茶」(三重県松阪市飯高町・飯南町の櫛田川流域のお茶) [伊勢茶]
愛知県西尾市にある日本初の古書ミュージアム「西尾市岩瀬文庫」において2019年10月12日から2020年1月19日まで、西尾市岩瀬文庫企画展「茶 ~岩瀬文庫資料にみる茶のさまざま~」が開催されました(入場無料)。
~ 西尾市岩瀬文庫企画展「茶 ~岩瀬文庫資料にみる茶のさまざま~」。
~ 「日本山海名物図会」(全5巻、平瀬鉄斎・編、長谷川光信・画、1754年原刊、1797年求刊)。
この企画展における展示資料の一つである「日本山海名物図会」を企画展終了後に西尾市岩瀬文庫の閲覧室で閲覧すると、2巻の「茶 名物大概」の項に日本各地の24銘柄茶が載っていることをを知りました。
さて、「日本山海名物図会」に載っている24の銘柄茶の中に、「伊勢川俣」が載っています。
伊勢川俣(現在の松阪市飯高町から飯南町にかけての櫛田川流域)産のお茶「川俣茶(かばたちゃ)」については、松阪市生まれの日本古典研究家・本居宣長(1730~1801)が土産物として用いていたことがわかっています。
松阪市にある本居宣長記念館ウェブサイトに載っている「宣長探し~#022政所茶のこと~」を参照すると、次の記載があります。
■出所:本居宣長記念館ウェブサイト「宣長探し~#022政所茶のこと~」
本居宣長記念館に確認すると、1794年(寛政6年)10月に本居宣長は御前講釈のために和歌山へ旅立ち、和歌山城の藩士たちへの挨拶回りの際に「川俣茶」をお土産として渡したそうです。
和歌山城へ到着してから4日後の10月18日に紀州藩勘定奉行の丹羽傳四郎、宇佐美長右衛門、高木平左衛門へ挨拶に行った時のことを本居宣長が自ら記録した資料2点が残っており、「寛政六年若山行日記」に「川俣茶」、「寛政六年若山行表向諸事扣」に「川上茶」の記載があり、本居宣長記念館によると、「宣長は同じお茶に対して、『川俣』と『川上』の区別なく名称を用いていたことがわかる」そうです。
~ 本居宣長記念館(三重県松阪市殿町1536-7)。2020年4月14日撮影。
~ 西尾市岩瀬文庫企画展「茶 ~岩瀬文庫資料にみる茶のさまざま~」。
~ 「日本山海名物図会」(全5巻、平瀬鉄斎・編、長谷川光信・画、1754年原刊、1797年求刊)。
この企画展における展示資料の一つである「日本山海名物図会」を企画展終了後に西尾市岩瀬文庫の閲覧室で閲覧すると、2巻の「茶 名物大概」の項に日本各地の24銘柄茶が載っていることをを知りました。
さて、「日本山海名物図会」に載っている24の銘柄茶の中に、「伊勢川俣」が載っています。
伊勢川俣(現在の松阪市飯高町から飯南町にかけての櫛田川流域)産のお茶「川俣茶(かばたちゃ)」については、松阪市生まれの日本古典研究家・本居宣長(1730~1801)が土産物として用いていたことがわかっています。
松阪市にある本居宣長記念館ウェブサイトに載っている「宣長探し~#022政所茶のこと~」を参照すると、次の記載があります。
宣長が吉野飛鳥の旅にもお茶を持参していたことは、『菅笠日記』に出てきます。また、和歌山での藩士への挨拶にもお土産はお茶でした。持って行ったお茶は「川上茶」、これは当時の松坂では、櫛田川上流のお茶、川俣茶をさしていました。 ※下線は wattana が引いた。
■出所:本居宣長記念館ウェブサイト「宣長探し~#022政所茶のこと~」
本居宣長記念館に確認すると、1794年(寛政6年)10月に本居宣長は御前講釈のために和歌山へ旅立ち、和歌山城の藩士たちへの挨拶回りの際に「川俣茶」をお土産として渡したそうです。
和歌山城へ到着してから4日後の10月18日に紀州藩勘定奉行の丹羽傳四郎、宇佐美長右衛門、高木平左衛門へ挨拶に行った時のことを本居宣長が自ら記録した資料2点が残っており、「寛政六年若山行日記」に「川俣茶」、「寛政六年若山行表向諸事扣」に「川上茶」の記載があり、本居宣長記念館によると、「宣長は同じお茶に対して、『川俣』と『川上』の区別なく名称を用いていたことがわかる」そうです。
~ 本居宣長記念館(三重県松阪市殿町1536-7)。2020年4月14日撮影。