日本古典研究家の本居宣長(1730~1801)は、65歳の1794年(寛政6年)10月10日、和歌山城での御前講義のために松坂(当時は「松坂」と表記した)を出立し、和歌山街道を歩いて和歌山へ向かいました。同年12月4日に松坂の自宅へ帰宅後、本居宣長は「紀見のめぐみ」と題した歌日記を残しています。

この「紀見のめぐみ」を参照すると、和歌山街道沿いにある真言宗「大石(おいし)不動院」の不動滝について宣長は、「菅の根の長き日ならは大いしの瀧のしら絲よりて見ましを」(菅の根のように日が長ければ、大石の滝が白糸の様に流れている様を寄って見てゆくのになあ)という句を詠んでいます。


~ 「大石不動院」の不動滝、(石勝山金常寺、通称:大石不動院、所在地:三重県松阪市大石町4)。

この和歌山への旅に宣長は藩士へのお土産として「川俣茶(かばたちゃ)」(「川俣谷」と呼ばれた現在の三重県松阪市飯高町・飯南町の櫛田川流域のお茶を指す)を持参していることがわかっています(参照:「寛政六年若山行日記」)。


本居宣長 (中公新書)

  • 作者: 田中 康二
  • 出版社/メーカー: 中央公論新社
  • 発売日: 2014/07/24
  • メディア: 新書


さて、2020年6月5日(木曜日)午前10時15分頃、松阪駅前より三重交通バス「大石行」(射和・相可高校経由)を利用して「大石不動院」へ行ってきました。


~ 「大石不動院」、三重交通バス「大石」バス停から「大石不動院」まで5分ほど歩きました。

「大石不動院」で松阪市飯南町に住む知人と落ち合い、飯南町内にある三重県産の緑茶「伊勢茶」(茶栽培圃場)を見て回りました。

最初に向かったのは、日本の棚田百選に認定された「深野のだんだん田」がある、松阪市飯南町深野です。


~ 「飯南町深野上郷案内図」。

〔参考〕1999年7月に農林水産省が認定した「日本の棚田百選」の一つである「深野のだんだん田」は、認定当時のパンフレットを参照すると、「今から約430年以前(室町時代末期)から始められ当時深野上郷は北畠氏の重要な拠点であり、白猪山の西約1.5km付近に「のろし場」があり見張りの侍等が詰めており、その侍たちの食糧確保のため棚田が開墾されたといわれており、現在も水田として利用され、石積みは雑草もなくよく維持管理されている。」となっています。


飯南町深野地区は、「だんだん田」が有名ですが、「だんだん茶園」(石積み茶園)もあります。


~ 小規模な「だんだん茶園」(石積み茶園)。

規模の大きな「だんだん茶園」(石積み茶園)もあります。


~ 「だんだん田」の上に「だんだん茶園」、その上に「茶山」があります。

横から見ると、「だんだん(段々)」になっていることがよくわかると思います。


~ 横から撮った「だんだん田」と「だんだん茶園」。

松阪市飯南町深野の次に向かったのは、飯南町神名原(しでわら)です。