昭和41年(1966年)4月に発売された美川憲一さんが歌った「柳ケ瀬ブルース」で全国的に知られるようになった「柳ケ瀬」(※1)は、柳ケ瀬本通商店街(フローレンス柳ケ瀬通り)、柳ケ瀬通1丁目商店街、劇場通北商店街、日ノ出町商店街、小柳町商店街などから構成されているアーケード商店街です。

(※1)「柳ケ瀬」と「柳ヶ瀬」の2つの表記があり統一されていませんが、この記事においては「柳ケ瀬」と表記します。



~ 柳ケ瀬通本通商店街、2019年6月14日撮影(この記事に掲載した写真すべて)。

柳ケ瀬本通商店街に「柳ケ瀬ブルース発祥の地」碑がありますが、下を向いて歩いていないと見逃してしまいます。


~ 柳ケ瀬本通商店街の通路にある「柳ケ瀬ブルース発祥の地」の


~ 「柳ケ瀬ブルース」の歌詞。

現在の「柳ケ瀬」において集客力があるのは、岐阜高島屋です。


~ 岐阜高島屋は岐阜市唯一の百貨店です。劇場通北商店街側のエントランス前には駐輪場があります。


~ 金華橋通りから見る岐阜高島屋。

「柳ケ瀬」にはシャッターが閉まったままの空き店舗が多かったのですが、ここへきて再開発が進んでいます。

高島屋南地区においては、住宅、公益的施設、商業施設などが入る複合施設の建設が始まっています。柳ケ瀬レンガ通りにあった「岐阜センサ」と「岐阜センサ2」が解体され、マンション建設が始まっています。






さて、2019年6月14日(金曜日)午前11時30分頃、ぎふ・柳ケ瀬へ行ってきました。


~ 「柳ケ瀬再生のシンボル」と言われるロイヤルビル(ロイヤル40)。


~ ロイヤル劇場が残るロイヤルビル(ロイヤル40)。

ロイヤルビルから柳ケ瀬レンガ通りへ向かって歩いていると、旧長崎屋とアクアージュ柳ケ瀬の間に、「柳ケ瀬の由来」が刻まれた説明板があることに気づきました。



アクアージュ柳ケ瀬辺りは何度も何度も歩いたことがありますが、この説明板があることに今まで気がつきませんでした。



柳ケ瀬の由来 柳ケ瀬という名は、カワヤナギの多い川の瀬といった意味からの地名で、昔は自生のカワヤナギ・クスノキが生い茂る川が流れていたことによる。現在地に柳ケ瀬が町名として誕生したのは、明治二十二年に市政が敷かれてからである。また、当時の柳ケ瀬三・四丁目から南側一帯には広い蓮池があり、池に流れ込む農業用水を柳ケ瀬川と呼んでいた。平成四年八月 (引用文献 柳ケ瀬百年誌)(引用文献 わがまち明徳)


岐阜市に住んで30数年、初めて「柳ケ瀬の由来」を知りました。


~ 岐阜市コミュニティバス(左側)と岐阜バス(右側)の「柳ケ瀬」バス停留所案内表示板。