全国的に紅葉の名所として知られる香嵐渓(こうらんけい)は、愛知県豊田市足助町(あすけちょう)にあります。
~ 巴川にかかる巴橋から待月橋方向を撮った写真です。
※この記事に掲載した写真はすべて2016年12月9日(金曜日)に撮ったものです。
~ 巴川に合流する足助川(写真の左側から流れ込む川)、前方の山が紅葉が美しい飯盛山。
足助(あすけ)は、尾張・三河から信州へ向かう伊那街道の中継地点にある商業で栄えた町で、平成23年(2011年)6月に愛知県で初めて重要伝統的建造物群保存地区に選定されました。
~ 深見家住宅辺りの足助の町並み。
~ マンリン書店とマンリン小路。
~ 連続する妻入家屋。
「足助町並み散策ナビ」(発行:豊田市教育委員会文化財課足助分室)を参照すると、安永4年(1775年)の大火で町並みのほとんどが消失したそうですが、大火直後から町は再建され江戸後期から明治末期に建てられた建物が今も、数多く残っています。
さて、2016年12月9日(金曜日)の午前10時45分頃、足助観光協会で「足助町並み散策ナビ」を入手した後、歩いて足助の古い町並みへ向かいました。
~ 足助観光協会(豊田市足助町宮平34-1)。
~ 足助両口屋(豊田市足助町本町16)。
名古屋の御菓子所「両口屋是清」とは関係がありません。
外観だけではわかりにくいと思いますが、文化文政期(1804年~29年頃)に建てられた建物だそうです。
店舗の奥に、大正期までの繭問屋時代の遺物があります。
~ 2階部分の嵩がかなり高い造りです。入母屋平入2階建て。
江戸時代末期以前に建てられた萬屋田口家は、明治後半までお茶屋を営んでいたそうです。
~ 萬屋田口家(豊田市足助町本町8)。
~ お茶屋時代の屋号は「碧露園(へきろえん)」。
ご当主の田口さん(足助観光協会会長)に萬屋田口家を案内していただきました。
~ 木箱の蓋裏に京都宇治・上林家の茶入日記がある御茶壺。
~ 碾茶を挽いた石臼。
~ 蔵に残る茶甕。
萬屋田口家には、石油商時代のいろいろな看板、ライジングサン石油(昭和シェル石油の前身)の遺物などかなりの希少品も残っています。
※和菓子とお茶編については、
甘楽茶楽部(別冊「行ってきました」シリーズ)の記事をご覧ください。 → こちら
~ 巴川にかかる巴橋から待月橋方向を撮った写真です。
※この記事に掲載した写真はすべて2016年12月9日(金曜日)に撮ったものです。
~ 巴川に合流する足助川(写真の左側から流れ込む川)、前方の山が紅葉が美しい飯盛山。
足助(あすけ)は、尾張・三河から信州へ向かう伊那街道の中継地点にある商業で栄えた町で、平成23年(2011年)6月に愛知県で初めて重要伝統的建造物群保存地区に選定されました。
~ 深見家住宅辺りの足助の町並み。
~ マンリン書店とマンリン小路。
~ 連続する妻入家屋。
「足助町並み散策ナビ」(発行:豊田市教育委員会文化財課足助分室)を参照すると、安永4年(1775年)の大火で町並みのほとんどが消失したそうですが、大火直後から町は再建され江戸後期から明治末期に建てられた建物が今も、数多く残っています。
さて、2016年12月9日(金曜日)の午前10時45分頃、足助観光協会で「足助町並み散策ナビ」を入手した後、歩いて足助の古い町並みへ向かいました。
~ 足助観光協会(豊田市足助町宮平34-1)。
~ 足助両口屋(豊田市足助町本町16)。
名古屋の御菓子所「両口屋是清」とは関係がありません。
外観だけではわかりにくいと思いますが、文化文政期(1804年~29年頃)に建てられた建物だそうです。
店舗の奥に、大正期までの繭問屋時代の遺物があります。
~ 2階部分の嵩がかなり高い造りです。入母屋平入2階建て。
江戸時代末期以前に建てられた萬屋田口家は、明治後半までお茶屋を営んでいたそうです。
~ 萬屋田口家(豊田市足助町本町8)。
~ お茶屋時代の屋号は「碧露園(へきろえん)」。
ご当主の田口さん(足助観光協会会長)に萬屋田口家を案内していただきました。
~ 木箱の蓋裏に京都宇治・上林家の茶入日記がある御茶壺。
~ 碾茶を挽いた石臼。
~ 蔵に残る茶甕。
萬屋田口家には、石油商時代のいろいろな看板、ライジングサン石油(昭和シェル石油の前身)の遺物などかなりの希少品も残っています。
※和菓子とお茶編については、
甘楽茶楽部(別冊「行ってきました」シリーズ)の記事をご覧ください。 → こちら