2019年9月6日(金曜日)午後1時15分頃に、岐阜県揖斐川町(いびがわちょう)上南方にある「揖斐川歴史民俗資料館」へ行ってきました。


~ 表門の横にある案内板。入場料大人100円。


~ 「揖斐川歴史民俗資料館」の本館。

揖斐川町は、2005年1月31日に旧揖斐川町、谷汲村、春日村、久瀬村、藤橋村、坂内村が合併し誕生した町で、揖斐川歴史民俗資料館、藤橋歴史民俗資料館、坂内歴史民俗資料館、春日森の文化博物館などの資料館があります。




さて、「揖斐川歴史民俗資料館」の「揖斐川と人々の暮らし」ゾーンは、次の4つのテーマで展示が行われています。

 1.揖斐川の治水
 2.揖斐川の舟運(しゅううん)
 3.揖斐川の漁業
 4.揖斐川の電源開発



陸上の輸送が困難だったため揖斐川が流れる揖斐川町では舟やいかだによる舟運が盛んだったそうです。揖斐川の舟運の歴史は古く、秀吉の治世には川を利用した物資の輸送が行われていたそうです。


~ 揖斐川の舟運に関する解説パネルとジオラマ。

舟運に使われていた舟が展示されています。


~ 再現された親舟(奥の帆掛け舟)と実物のせどり舟(手前の舟)。

舟の後ろから撮った写真です。



桑名や名古屋への下りの荷物は、木炭、わり木、米、石灰、渋柿など。上りの荷物は、塩、みそ、たまり、乾物、せと物などだったそうです。


~ 揖斐川の舟運についての解説パネルを見ると、河川舟運において(流れに逆らって)河川をどのようにして上ったかなどが理解できます。

「カコ」という綱引きがジオラマで再現されています。



「揖斐川歴史民俗資料館」のウェブサイトを参照すると、明治中頃に開通した車道の利用が便利になると、舟運の利用は徐々に減り、1940年(昭和15年)の西平ダムの完成で、揖斐川上流からの舟運は終わったそうです。

なお、舟運についてご興味がある方は、水の文化に関する研究や情報交流活動を展開している「ミツカン 水の文化センター」のホームページをご覧になることをお勧めします。


~ ミツカン水の文化センター機関誌「水の文化第25号」(2007年2月発行)。

☆ 「揖斐川歴史民俗資料館」(岐阜県揖斐郡揖斐川町上南方905番地1)