菓銘を聞いて「お茶を楽しむ」 -(3)「菓銘」は連想ゲームのヒント- [甘いもの(和菓子・スイーツ・パン)]
♪ 菓銘を聞いて「お茶を楽しむ」 -(2)菓銘を聞いて楽しむ「和菓子」- の続き
茶菓、茶菓子、茶請け、茶の子という言葉があることからもわかる通り、お茶にはお菓子がつきものです。
今年2020年1月15日に名鉄百貨店本店本館9階のバンケットルームで行われた笹屋伊織の女将塾「愛される所作~菜の花色の会」(テーマ:大福茶とお題菓子)において講師の田丸みゆき先生が「大福茶」(おおぶくちゃ)に合わせたお菓子は、「令和の初春」という菓銘の羊羹、梅の干菓子、そして干支の麩焼きせんべいの3種でした。
「なんだ、羊羹か」などと言うなかれ。羊羹「令和の初春」の写真をよくご覧ください。青えんどう豆を甘く柔らかく炊いた鶯豆が潜んでいます。
さあ、ここからが連想ゲームです。
「鶯豆」から「鶯」(異名「春告鳥」)が思い浮かびます。元号が令和になってから初めて迎える春、故に「令和の初春」と銘じたそうです。
羊羹はインスタ映えしない和菓子かもしれませんが、「鶯豆」を忍ばせた羊羹に「令和の初春」という菓銘を付けた和菓子職人のセンスから春の訪れをイメージすることができると思います。
(見るだけで楽しむのではなく)菓銘を聞いて楽しむ、和菓子。羊羹「令和の初春」に梅の干菓子を添えることにより一層「春の訪れ」のイメージが膨らみます。
なお、菓銘「令和の初春」は、お題菓子(御題菓子、勅題菓子とも)というジャンルに入る和菓子だそうです。お題菓子とは、毎年1月に皇居で開かれる歌会始のお題に因む意匠菓子のことです。令和2年のお題「望(のぞみ)」から笹屋さんが意匠を凝らし(販売用に)創作したのが菓銘「令和の初春」の煉羊羹だそうです。
それでは、前記事 菓銘を聞いて「お茶を楽しむ」 -(2)菓銘を聞いて楽しむ「和菓子」- に写真を載せた京都・聖護院の甘楽花子さんのきんとん4種の甘楽花子さんのご主人・内藤豪剛さんによる菓銘の付け方をみてみましょう。
~ 菓銘「ナルシスの丘」、2015年2月7日に甘楽花子さんでいただいた京菓子です。「ナルシスの丘」はスイス・レマン湖畔にある水仙が咲く丘です。「水仙」を意匠したきんとんですが、単純に菓銘を「水仙」とつけないところが京菓子職人のセンスだと思います。
~ 菓銘「五月女(さおとめ)」、2017年5月16日に甘楽花子さんでいただいた京菓子です。「夏も近づく八十八夜」で始まる文部省唱歌「茶摘み」をご存知の方なら、そぼろの色使いと菓銘「五月女」から、歌詞「あかねだすきに菅の笠」にある様に茜で染めたたすきをした女性が新茶を摘んでいる姿が浮かんでくるのではないでしょうか。
~ 菓銘「わだつみ」、2018年7月16日(月曜日/海の日)に、甘楽花子さんでいただいた京菓子です。「わだつみ」は、海の神のこと。マリンブルーに染めたそぼろから「海」を連想できますが、菓銘を「海」と付けないのが京菓子職人のセンスだと思います。
~ 菓銘「はしり紅葉」、2018年11月1日に京都・聖護院の甘楽花子さんでいただいた京菓子です。
この京菓子の菓銘は読んで字のごとくですが、この日の甘楽花子さんには「はしり紅葉」という菓銘の京菓子が3種ありました。
~ 菓銘「はしり紅葉」(羊羹)。
~ 山を意匠した三角形の菓銘「はしり紅葉」は、あん好きにはたまらない京菓子でした。(下から上へ)村雨(漉し餡)・粒餡・栗餡・村雨(白餡※)。※黄色・オレンジ色・緑色の三色に染められた村雨(白餡)が使われていました。
餡玉にそぼろを付けた「きんとん」は、そぼろの色使いと菓銘の付け方で、季節に合わせて変身します。京菓子職人には、餡炊きなどの技術だけでなく、菓銘の付け方などのセンスが求められます。
♪ 「菓銘を聞いて」お茶を楽しむ -(4)菓銘を聞いて「お茶を楽しむ」- に続く。
菓銘を聞いて「お茶を楽しむ」 -(2)菓銘を聞いて楽しむ「和菓子」- [甘いもの(和菓子・スイーツ・パン)]
♪ 菓銘を聞いて「お茶を楽しむ」 -(1)季節に先んじられた「和菓子」- からの続き
「和菓子は五感の芸術である」は、全国和菓子協会第2代会長の黒川光朝さんが提唱した言葉だそうです。
五感とは、視覚、味覚、嗅覚、触覚、聴覚のことで、全国和菓子協会のホームページに詳しい解説が載っていますが、ここでは黒川光朝さんのご子息で虎屋17代当主 (株式会社虎屋代表取締役社長の黒川光博さんの著書「虎屋 和菓子と歩んだ五百年」(新潮新書、2005年8月発行)の次の行をご紹介したいと思います。
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父の残した言葉に、「和菓子は五感の芸術である」というものがあります。和菓子にはまず形や目に映る美しさがある(視覚)。次に口に含んだ時のおいしさ(味覚)、そしてほのかな香り(嗅覚)と、手で触れ、楊枝で切る時の感じ(触覚)があるが、これらに加えてもう一つ、菓子の名前を耳で聞いて楽しむ「聴覚」がある、と言うのです。
和菓子には、『古今和歌集』や『源氏物語』などの古典文学からとったり、日本の風土、四季などを巧みに織り込んださまざまな雅な名前(菓銘)が付けられています。例えば、「薄氷(うすらひ)」という菓子。これは初冬のある朝、紅葉が池の氷に閉じ込められている情景を、道明寺生地の中の 煉羊羹で表したものです。「春霞」「初蛍」「紅葉の錦」など、それらの菓銘を耳にするだけで季節のうつろいすら感じ取ることができます。
そういうものすべてがそろって初めて和菓子は完成する、というのが父が言いたかったことではないか。和菓子を五感という観点からとらえたのは、わが父ながら卓見だと思います。
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※下線は wattana が引いた。
・出所:黒川光博「虎屋 和菓子と歩んだ五百年」の170~171ページ。
さて、「菓子の名前(菓銘)を耳で聞いて楽しむ」聴覚については、虎屋文庫の中山圭子さんが書いた朝日文庫「和菓子ものがたり」の「音 菓銘の響き」の次の行が参考になると思います。
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食べる和菓子に「音」とは意外と思われるかもしれませんが、耳による楽しみも和菓子の魅力の一つです。 (略)
旅土産の和菓子以上に、茶事で使う菓子は菓銘も茶会の趣向を決める構成要素の一つ。茶碗や水指、茶杓などの道具を季節や茶会の内容によって選ぶように、菓子の選択にも気を配ります。茶道具同様に、菓子にも四季の自然風物や古典文学に因んだ名前がついているのは、こうした理由によるのでしょう。
菓銘を聞くことで、季節を読み取り、日本語の美しさに触れる楽しみは、生活にゆとりが出始めた現在、もっと注目してよいように感じます。最近は、生菓子の銘を明記しないで販売する和菓子屋もあるだけに、和菓子ファンの私としては少々残念。茶会の趣旨に応じて、おのおのが名前をつけていいわけですが、作り手が何をイメージしたのか知りたいし、教えてほしいと思うからです。
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※下線は wattana が引いた。
・出所:朝日文庫「和菓子ものがたり」273~274ページ。
それでは、京都・聖護院の甘楽花子さんのきんとん4種をお楽しみください。なお、甘楽花子さんのご主人・内藤豪剛さんの菓銘の付け方につきましては、次の記事 -(3)「菓銘」は連想ゲームのヒント- で解説する予定です。
~ 甘楽花子「ナルシスの丘」(きんとん製)。
~ 甘楽花子「五月女」(きんとん製)。
~ 甘楽花子「わだつみ」(きんとん製)。
~ 甘楽花子「はしり紅葉」(きんとん製)。
「インスタ映え」がユーキャン新語・流行語大賞2017で大賞を受賞したことからもわかる通り、見た目、いや「(写真)映え」だけが重要視されているのが今です。このような視覚情報重視時代が続くと、「菓銘を聞いて楽しむ」という和菓子の楽しみ方は忘れ去れてしまうのではないかと危惧しています。
♪ 菓銘を聞いて「お茶を楽しむ」 -(3)「菓銘」は連想ゲームのヒント- へと続く
菓銘を聞いて「お茶を楽しむ」 -(1)季節に先んじられた「和菓子」- [甘いもの(和菓子・スイーツ・パン)]
深蒸し茶(深蒸し煎茶)で知られる静岡県掛川市の掛川城公園内にある「二の丸茶室」は、2002年(平成14年)3月に竣工した茶室・数寄屋造り研究の権威・中村昌生さん(1927~2018)が設計監理した公共茶室です。
~ 掛川城公園「二の丸茶室」の主屋。
「二の丸茶室」は、広間(十畳)、立礼席、小間「桔梗庵」(四畳半)から構成されており、茶事・茶会に貸室利用できる他、掛川城見学に訪れた観光客などのために呈茶が行われています。
さて、2020年1月23日(木曜日)午後0時50分頃、「二の丸茶室」を利用しました。この日の呈茶のご担当は煎茶道松月流の方でした。
~ 煎茶道松月流による煎茶席(床飾り)。
~ 煎茶道松月流による煎茶席(手前座)。
この日の和菓子の菓銘は「梅林」(コマツ菓子店製)でした。
「二の丸茶室」のスタッフに、「今日の和菓子(菓銘 梅林)は、例年なら季節を先取りする和菓子なのに今年は暖冬なので季節の先取り感がないですね。先ほど丸山製茶さんの『茶菓きみくら』の茶寮を利用したのですが、庭園には白梅が咲き始めていました。暖冬の今年はお菓子選びが難しいですね」と話すと、「ここでも立礼席の横の通路の紅梅が咲き始めています。」と教えてくださり、紅梅が咲き始めた通路、掛川市特産の葛布が天井に使われている立礼席、小間「桔梗庵」などを案内してくださいました。
~ 「二の丸茶室」の立礼席(天井に掛川市特産の葛布が使われている)。
~ 掛川城跡から採集した灯篭の笠を利用した蹲踞(つくばい)。
~ 立礼席横の通路の紅梅が咲き始めていました。
~ 掛川城公園「二の丸茶室」の主屋。
「二の丸茶室」は、広間(十畳)、立礼席、小間「桔梗庵」(四畳半)から構成されており、茶事・茶会に貸室利用できる他、掛川城見学に訪れた観光客などのために呈茶が行われています。
さて、2020年1月23日(木曜日)午後0時50分頃、「二の丸茶室」を利用しました。この日の呈茶のご担当は煎茶道松月流の方でした。
~ 煎茶道松月流による煎茶席(床飾り)。
~ 煎茶道松月流による煎茶席(手前座)。
この日の和菓子の菓銘は「梅林」(コマツ菓子店製)でした。
「二の丸茶室」のスタッフに、「今日の和菓子(菓銘 梅林)は、例年なら季節を先取りする和菓子なのに今年は暖冬なので季節の先取り感がないですね。先ほど丸山製茶さんの『茶菓きみくら』の茶寮を利用したのですが、庭園には白梅が咲き始めていました。暖冬の今年はお菓子選びが難しいですね」と話すと、「ここでも立礼席の横の通路の紅梅が咲き始めています。」と教えてくださり、紅梅が咲き始めた通路、掛川市特産の葛布が天井に使われている立礼席、小間「桔梗庵」などを案内してくださいました。
~ 「二の丸茶室」の立礼席(天井に掛川市特産の葛布が使われている)。
~ 掛川城跡から採集した灯篭の笠を利用した蹲踞(つくばい)。
~ 立礼席横の通路の紅梅が咲き始めていました。
♪ 菓銘を聞いて「お茶を楽しむ」 -(2)菓銘を聞いて楽しむ「和菓子」- へ続く。
薯蕷饅頭と伊勢いも [甘いもの(和菓子・スイーツ・パン)]
薯蕷饅頭(じょうよ・まんじゅう)は、きんとんと双璧をなす京菓子を代表するお菓子です。上用饅頭と呼ばれることもあります。
~ 名古屋・新栄の川村屋「照葉」、2018年10月28日に開かれた全日煎「第60回煎茶大会」の薫風流煎茶席で撮影。
薯蕷饅頭は、餡玉を薯蕷生地で包み、蒸し上げたお菓子です。
~ 笹屋伊織「上用饅頭(二重餡)」の断面、2017年2月15日に行われた笹屋伊織「和の美人度アップ講座」で撮影。一番外側の白い生地が薯蕷生地です。
(餡を)炊く、(餡を薯蕷生地で)包む、蒸すという和菓子の基本的な技術に加え、純白の頂に焼印、色使いなどによる意匠、そしてその薯蕷饅頭に付ける菓銘は、和菓子職人の技とセンスの見せ所です。
~ 老松「梅一枝」、2013年2月12日に有斐斎弘道館で撮影。
~ 甘楽花子「春鶯(しゅんおう)」、2017年3月3日に甘楽花子で撮影。
さて、薯蕷(じょうよ)という言葉は普段あまり使うことがありませんが、「薯」も「蕷」もイモを表す漢字です。
薯蕷生地に使われる主な原材料は、やまといも(つくね芋)、砂糖、上用粉(薯蕷粉)です。
やまといも(つくね芋)は、「やまのいも科やまのいも属山芋種やまといも群」に分類される、兵庫県北部の特産で表皮の黒い丹波芋、三重県多気町特産の表皮が白い伊勢いも、石川県能美市と小松市の特産で伊勢いもが起源の加賀丸いもなどです。
名古屋圏で薯蕷生地に使われる伊勢いもは、三重県多気郡多気町の特産品です。多気町における伊勢いもの栽培は300年ほどの歴史があると聞いています。
~ 2017年10月10日に三重県多気郡多気町四疋田の収穫前の伊勢いも畑で撮影。
~ 収穫された伊勢いも。
美し国「みえの伝統野菜」に選定されている伊勢いもは、ながいもに比べ格段に粘りが強く肉質もよく、時間が経過しても変色しないことなどから高級食材としての需要があり、日本料理、和菓子の原材料などとして使用されていますが、後継者不足による栽培面積の減少に伴い近年、生産量が減少しているそうです。
~ 名古屋・新栄の川村屋「照葉」、2018年10月28日に開かれた全日煎「第60回煎茶大会」の薫風流煎茶席で撮影。
薯蕷饅頭は、餡玉を薯蕷生地で包み、蒸し上げたお菓子です。
~ 笹屋伊織「上用饅頭(二重餡)」の断面、2017年2月15日に行われた笹屋伊織「和の美人度アップ講座」で撮影。一番外側の白い生地が薯蕷生地です。
(餡を)炊く、(餡を薯蕷生地で)包む、蒸すという和菓子の基本的な技術に加え、純白の頂に焼印、色使いなどによる意匠、そしてその薯蕷饅頭に付ける菓銘は、和菓子職人の技とセンスの見せ所です。
~ 老松「梅一枝」、2013年2月12日に有斐斎弘道館で撮影。
~ 甘楽花子「春鶯(しゅんおう)」、2017年3月3日に甘楽花子で撮影。
さて、薯蕷(じょうよ)という言葉は普段あまり使うことがありませんが、「薯」も「蕷」もイモを表す漢字です。
薯蕷生地に使われる主な原材料は、やまといも(つくね芋)、砂糖、上用粉(薯蕷粉)です。
やまといも(つくね芋)は、「やまのいも科やまのいも属山芋種やまといも群」に分類される、兵庫県北部の特産で表皮の黒い丹波芋、三重県多気町特産の表皮が白い伊勢いも、石川県能美市と小松市の特産で伊勢いもが起源の加賀丸いもなどです。
名古屋圏で薯蕷生地に使われる伊勢いもは、三重県多気郡多気町の特産品です。多気町における伊勢いもの栽培は300年ほどの歴史があると聞いています。
~ 2017年10月10日に三重県多気郡多気町四疋田の収穫前の伊勢いも畑で撮影。
~ 収穫された伊勢いも。
美し国「みえの伝統野菜」に選定されている伊勢いもは、ながいもに比べ格段に粘りが強く肉質もよく、時間が経過しても変色しないことなどから高級食材としての需要があり、日本料理、和菓子の原材料などとして使用されていますが、後継者不足による栽培面積の減少に伴い近年、生産量が減少しているそうです。
「栗」は縄文人の主食だった、日本人が栗好きな理由ここにあり。 [甘いもの(和菓子・スイーツ・パン)]
栗と砂糖で作る素朴なお菓子「栗きんとん」は、岐阜県中津川市、恵那市および加茂郡八百津町の名産品です。
~ 恵那川上屋の栗きんとん、2018年9月28日に恵那川上屋本社恵那峡店にある里の菓茶房で撮影。
栗を使った和菓子といえば、栗きんとんのほかに、栗羊羹、栗まんじゅうなどがありますが、「栗粉餅」とよばれる和菓子があります。
中津川市、岐阜市、名古屋市などにある和菓子屋で「栗粉餅」は製造販売されていますが、全国的な知名度は低いようです。
~ 恵那川上屋岐阜高島屋店で2018年11月7日に購入した「いがぐりもち-毬栗餅-」。
商品名は「いがぐりもち-毬栗餅-」ですが、~餅に栗粉をまぶした「栗粉餅」~です。
~ 化粧箱裏面の一括表示襽を見ると、使用されている原材料は「栗(国産)、もち米(三重県産)、砂糖、還元水あめ、食塩」です。砂糖が原料投入時の重量順で3位となっていることから、砂糖の使用割合が低い和菓子であることがわかります。
虎屋文庫の中山圭子さんの著書「和菓子ものがたり」(朝日文庫、2001年1月1日発行)の「栗菓子ことはじめ」を参照すると、「栗粉餅」は栗菓子の原点だそうです。
虎屋文庫による情報が続きますが、虎屋文庫・編著「和菓子を愛した人たち」(山川出版社、2017年6月発行)の「近衛家煕と栗粉餅-さすがの者共なり」を参照すると、「栗粉餅」に関する興味深いエピソードが載っています。
「栗の粉の傷みが早い」のは、現在の「栗粉餅」にも言えることです。栗の保水力の弱さを補うために砂糖を使いますが、砂糖の量が多すぎると、日持ちは長くなっても肝心の栗の風味が砂糖に負けてしまいます。消費期限を1日でも長くするためにトレハロースなどを添加する和菓子屋もあります。
また、「栗粉餅」のことを「栗きんとんをアレンジした人気商品」などと紹介する和菓子店がありますが、室町時代に既にあった「栗粉餅」を100年ほどの歴史しかない「栗きんとん」のアレンジ商品という本末転倒な紹介はとても残念です。
さて、栗菓子の原点ともいえる「栗粉餅」が室町時代に既にあったことに驚かれた方がいらっしゃるかもしれませんが、「栗」は縄文人の主食だったことが明らかになっています。有岡利幸さんが書いた「栗の文化史 日本人と栗の寄り添う姿」(雄山閣、2017年2月25日発行)の第1章「栗を主食にした縄文人」を参照すると、次の記載があります。
2000年10月1日から10月31日に開催された第57回虎屋文庫資料展の資料に総合地球環境学研究所名誉教授の佐藤洋一郎さんが寄稿した「縄文時代と栗」を参照すると、縄文時代に栗を栽培していたことがわかります。
「栗」は縄文人の主食だった、日本人が栗好きな理由ここにあり。
~ 恵那川上屋の国産栗を使ったモンブラン「栗山」、2018年9月28日に恵那川上屋本社恵那峡店の里の菓茶房で撮影。
~ 恵那川上屋の栗きんとん、2018年9月28日に恵那川上屋本社恵那峡店にある里の菓茶房で撮影。
栗を使った和菓子といえば、栗きんとんのほかに、栗羊羹、栗まんじゅうなどがありますが、「栗粉餅」とよばれる和菓子があります。
中津川市、岐阜市、名古屋市などにある和菓子屋で「栗粉餅」は製造販売されていますが、全国的な知名度は低いようです。
~ 恵那川上屋岐阜高島屋店で2018年11月7日に購入した「いがぐりもち-毬栗餅-」。
商品名は「いがぐりもち-毬栗餅-」ですが、~餅に栗粉をまぶした「栗粉餅」~です。
~ 化粧箱裏面の一括表示襽を見ると、使用されている原材料は「栗(国産)、もち米(三重県産)、砂糖、還元水あめ、食塩」です。砂糖が原料投入時の重量順で3位となっていることから、砂糖の使用割合が低い和菓子であることがわかります。
虎屋文庫の中山圭子さんの著書「和菓子ものがたり」(朝日文庫、2001年1月1日発行)の「栗菓子ことはじめ」を参照すると、「栗粉餅」は栗菓子の原点だそうです。
この頃になると、栗菓子の原点ともいえそうな栗の加工品が文献にも登場します。その名は栗粉餅。栗羊羹、栗きんとんなどが江戸時代後期に作られる前に、栗粉餅なる栗製品があったことは意外に知られていません。さて、栗粉餅とはどんなお菓子だったのでしょうか。 栗粉餅は、「松屋久政茶日記」の天正6(1578)年9月18日の条に「クリ粉ノモチ」と見える記録が古く、文字どおり、栗の粉をまぶした餅のことです。・・・中山圭子・著「和菓子ものがたり」160~161ページより引用
虎屋文庫による情報が続きますが、虎屋文庫・編著「和菓子を愛した人たち」(山川出版社、2017年6月発行)の「近衛家煕と栗粉餅-さすがの者共なり」を参照すると、「栗粉餅」に関する興味深いエピソードが載っています。
(略)享保16年10月には、虎屋にかかわるエピソードがあります。家煕が嵯峨(京都府)で朝早く栗粉餅を使用するため、晩のうちに納めるよう注文したところ、虎屋と亀屋は品質が保てないと判断したようで辞退しました。栗粉餅は室町時代から日記や茶会記に見える菓子で、餅に栗の粉をまぶした素朴なものと考えられます。菓子屋としては、栗の粉の傷みが早いのを心配したのでしょうか。それとも、あまり早く届けてしまうと、餅が固くなるということだったかもしれません。辞退の言を受けてから近衛家から、それでは栗の粉は重箱に入れ、餅とは別にするように、という新たな指示が出され、夜半過ぎに餅だけが届けられました。栗の粉がいつ届けられたかは記載がなく、実際の状況は不明ですが、当初の条件ではおいしく召し上がっていただけないという判断があったことは間違いがありません。二店の対応について「槐記」には“さすがの者共なり。何と偽っても商品を納めるのが商いの習いだが、それを断るのはよくよくのこと。些細なことかもしれないが、ほめるべきである”と記されています。(略)・・・「和菓子を愛した人たち」220~221ページより引用。
「栗の粉の傷みが早い」のは、現在の「栗粉餅」にも言えることです。栗の保水力の弱さを補うために砂糖を使いますが、砂糖の量が多すぎると、日持ちは長くなっても肝心の栗の風味が砂糖に負けてしまいます。消費期限を1日でも長くするためにトレハロースなどを添加する和菓子屋もあります。
また、「栗粉餅」のことを「栗きんとんをアレンジした人気商品」などと紹介する和菓子店がありますが、室町時代に既にあった「栗粉餅」を100年ほどの歴史しかない「栗きんとん」のアレンジ商品という本末転倒な紹介はとても残念です。
さて、栗菓子の原点ともいえる「栗粉餅」が室町時代に既にあったことに驚かれた方がいらっしゃるかもしれませんが、「栗」は縄文人の主食だったことが明らかになっています。有岡利幸さんが書いた「栗の文化史 日本人と栗の寄り添う姿」(雄山閣、2017年2月25日発行)の第1章「栗を主食にした縄文人」を参照すると、次の記載があります。
縄文時代早期初頭にあたる約1万年~約9000年前の、滋賀県大津市春嵐町沖の琵琶湖中の栗津湖底遺跡から大量の栗の果皮、鬼胡桃、水木、小楢が出土した。栗実の大きさは2cm以上で粒が揃っている。・・・「栗の文化史 日本人と栗の寄り添う姿」9ページより引用。
2000年10月1日から10月31日に開催された第57回虎屋文庫資料展の資料に総合地球環境学研究所名誉教授の佐藤洋一郎さんが寄稿した「縄文時代と栗」を参照すると、縄文時代に栗を栽培していたことがわかります。
(略)三内丸山遺跡から出土した栗の殻20個のDNAは、写真のように見事に揃っていた。遺跡周辺の山に自生する山栗のそれが互いにばらついていたのとは好対照をなしていた。三内丸山の栗は、品種改良という人の手を受けていたのである。私はここに、5000年前の三内丸山に生きた人びとの意思と知恵をみた思いがした。・・・第57回虎屋資料展資料8ページより引用。
「栗」は縄文人の主食だった、日本人が栗好きな理由ここにあり。
~ 恵那川上屋の国産栗を使ったモンブラン「栗山」、2018年9月28日に恵那川上屋本社恵那峡店の里の菓茶房で撮影。