SSブログ
スーパーの原点 ブログトップ
- | 次の5件

「主婦の店 サンバースト店」へ行ってきました [スーパーの原点]

「主婦の店」第1号店は、
1957 (昭和32)年5月3日に
岐阜県大垣市林町にオープンした
「主婦の店 大垣店」です。

第2号店は、
同年7月10日にオープンした
「主婦の店 青森三沢店」。

第3号店は、
同年7月20日にオープンした
「主婦の店 福岡小倉店」
(「丸和フードセンター」の別館)。

以上の3店舗はすでに
ありません。

第4号店は、
1957 (昭和32)年10月9日に
岐阜市加納上本町にオープンした
「主婦の店 加納店」。

この店舗は、
昨年まで存続していました。

100915主婦の店加納店①.JPG

2010年9月15日に
撮った写真です。

張り紙一枚で、
「主婦の店」の約53年の歴史に
幕が引かれました。

さて、
2月15日 (火曜日)に
三重県尾鷲市へ行ってきました。

前日の2月14日 (月曜日)に
降った雪が積もり、
伊勢自動車道と紀勢自動車道が
通行止めになり一般道を利用したので
計画よりもかなり遅く尾鷲市に到着しました。

最初に行ったのは、
尾鷲市立図書館。

1958 (昭和33)年7月に発行された
紀勢新聞と南海日日新聞、
そして住宅地図を閲覧・複写しました。

そして、
図書館から近い
「主婦の店 サンバースト店」へと
向かいました。

「主婦の店 サンバースト店」は、
株式会社主婦の店 (本社:三重県尾鷲市)が
運営するスーパーマーケットです。

同社のホームページを参照すると、
1958 (昭和33)年7月18日に
第1号店となる 「主婦の店 本町店」を
オープンしたそうです。

同日に、
「主婦の店スーパーマーケット全国チェーン」に
加盟となっているので、
「風車系主婦の店」です。

2011_02150001.JPG

上の写真は、
「主婦の店 サンバースト店」の屋上駐車場から
平面駐車場の直ぐ隣にある競合店
「プライスカット 尾鷲店」を撮ったものです。

「プライスカット 尾鷲店」は、
和歌山市に本社がある
株式会社オークワが運営する
低価格追求型のスーパーマーケットです。

オークワと言えば、
1959 (昭和34)年3月22日に
和歌山県新宮市にオープンした
「主婦の店 新宮店」が前身です。

ということは、
「主婦の店 サンバースト店」と
「プライスカット 尾鷲店」は、
かつては盟友関係にあった
ということになります。

かつての盟友が
隣同士で競い合うとは
厳しい時代です。

「主婦の店 (尾鷲店)」には
創業時の心意気を忘れずに
これから先も 「風車系主婦の店」として
営業を続けてほしいと思います。

紀州地区は何故物価が高いのか?という消費者サイドからの発想をもとに、 …略… 尾鷲市にも “良い品をより安く” 消費者の皆様に提供しなければいけないと、理想と使命感に燃えて、主婦の店・創始者である吉田先生のご指導のもとに本格的に店造りに取り掛かりました。

※1982年に主婦の店スーパーマーケット全国チェーンが発行した
  「風車と共に 主婦の店運動25年」の189ページから引用しました。

(備考)
 「主婦の店 (尾鷲店)」は私が調査したところでは、
 社名 「株式会社主婦の店」そして店名 「主婦の店」ともに
 ‘主婦の店’と称している現存する最古の「風車系主婦の店」です。
 シンボルマークは残念ながら ‘風車’ではありません。

2011_02150021.JPG
~ 「主婦の店 相賀店」です。


☆「主婦の店 サンバースト店」
  (三重県尾鷲市中村町345-1)
☆2011年2月15日 (火曜日)午後0時40分頃利用

人気ブログランキングへ

blogram投票ボタン

nice!(71)  コメント(2) 
共通テーマ:グルメ・料理

「丸和 小倉店」へ行ってきました [スーパーの原点]

日本で最初のスーパーマーケット (*注)は、1956 (昭和31)年3月10日に福岡県小倉市 (当時)にオープンした「丸和フードセンター」です。

丸和フードセンターは、日本で最初のスーパーマーケットであった。その頃セルフサービス方式を採用している企業は、28年12月の青山・紀ノ国屋、29年に大友 (京都)、わけや (東京)、31年2月の八幡製鉄 (現新日本製鉄)分配所など数えるほどしかなかった。しかし紀ノ国屋の場合は …略… 30年ごろで、現金売り60%、掛け売りが40%あり、配達もしているという点でもうかがうことはできるように決して低価格、大量販売を志向するスーパーマーケット方式をこの時点でとっているわけではなかった。

※「日本小売業運動史 第3巻 (戦後編)」 (公開経営指導協会・編)の247ページから引用しました。

(*注)日本で最初のセルフサービス店である東京・青山の紀ノ国屋が 日本でスーパーマーケットであるという説をとる学者もいらっしゃいます。

同書によると、「丸和フードセンター」は、

120坪という当時としては大型店舗であり、スーパーマーケットに切りかえたことにより月商は2,000万円と飛躍的な伸びを示した。しかも、それまでは15人いた菓子売場が2人ですむ、といように効率化もすすんだ。31年の大晦日に1日で400万円の売上げを記録したが、これは120坪の食品店としては、ケタはずれの数字だった。

そうです。

※同書248ページから引用しました。



さて、2011年3月4日 (金曜日)に「丸和 小倉店」へ行ってきました。

110304丸和小倉店⑤.JPG

110304丸和小倉店④.JPG

北九州市小倉北区にある旦過市場 (たんが・いちば)の北側の入り口にある「丸和 小倉店」は、日本で最初のスーパーマーケット「丸和フードセンター」の後継店です。

※「旦過市場」の公式サイトは → こちら

1956 (昭和31)年3月11日 (日曜日)の西日本新聞 (小倉版)に、

“セルフ・サービス”店開き 
代金はお出口で… 客足上乗 心配なのは盗難

という記事があり、

市内旦過市場丸和フードセンター=社長吉田日出夫氏=はお客さんの良心相手のセルフ・サービスの店として十日開店した。お客は入口で白色の金属製買物かごを受取り百三十坪の売場から果物、お菓子、罐詰、酒類、海産物、肉など約三千種類の商品のなかからほしいものを勝手に選んで買物かごに入れ、出口に並び五台のレジスターで代金を払うシステムだ。

と書いてあります。

※この新聞記事を 「北九州市中央図書館」で閲覧・複写しました。

この新聞記事から1956 (昭和31)年3月当時、スーパーマーケットという用語は一般的ではなかったと推測することができます。

1981年3月に発行された「日本小売業運動史 第3巻 (戦後編)」 を読むと、「丸和フードセンター」は、スーパーマーケット方式に切りかえたことで大幅な増収を果たし、同時に人員の削減という効率化を達成したとなっています。

しかし、吉田日出夫さんが書いた「スーパーの原点」 (1982年12月発行)を読むと、開店の3月10日から大晦日に418万円を売るまでの期間は、試行錯誤の連続だったそうです。

売る側も買う側もセルフサービス方式を採用した総合食料品店 (スーパーマーケット)を経験したことがない時代にスーパーマーケットを創設したのですから相当の苦労があったと推察されます。

「丸和フードサービスセンター」がオープンした翌年の1957 (昭和32)年以降、日本各地で 「主婦の店」という名のスーパーマーケットが続々とオープンしました。

この現象を「主婦の店運動」と呼び、「主婦の店」は当時、スーパーマーケットの代名詞になったそうです。

ところで、「丸和 小倉店」を運営している株式会社丸和 (本社:福岡県北九州市)のホームページによると、丸和は5月1日に親会社の株式会社ユアーズ(本社:広島県安芸郡海田町)に吸収合併され、
会社が消滅するそうです。

「丸和」という店舗ブランドは残るのか?
「丸和 小倉店」は存続するのか?
・・・は不明です。

☆「丸和 小倉店」
  (福岡県北九州市小倉北区魚町4丁目1-1)
☆2011年3月4日 (金曜日)午前11時20分頃利用



nice!(73)  コメント(8) 
共通テーマ:グルメ・料理

「風車系主婦の店」を探せ! [スーパーの原点]

「主婦の店スーパーマーケット全国チェーン」というボランティアチェーンが昔あった。

シンボルマークが‘風車’だったので、「風車系主婦の店」チェーンと呼ばれた。

080318主婦の店エマ福島①.JPG
~ ‘風車’マークがある 「主婦の店エマ福島店」(長野県木曽郡木曽町福島八沢5383、2008年3月18日撮影)。

‘風車’の中の4つの羽根が表しているのは;

その一枚の羽根は、消費者、お客さまです。一枚の羽根は、社員の皆さんです。一枚の羽根は、資本を提供して下さった株主です。四枚目の羽根は、メーカーまたはその代理をする問屋さん、仕入先です。この四つの方々が、ガッチリとスクラムを組んで廻ってゆくのです。あたかも風車が、風のままに廻って、水をくみあげるエネルギーを生んでゆくように、我々は四つのグループのお互いが連携し合って、出し合って、自分たちの生活をよくしていこう、そういうエネルギーを生み出してゆこう、というものです。これを四つの羽根に象徴しています。

だそうだ(「スーパーの原点」155ページから引用しました)。






この 「風車系主婦の店」チェーンを率いたのは、1956 (昭和31)年3月10日に日本で最初のスーパーマーケット (*注)と言われる「丸和フードセンター」 (福岡県小倉市、当時)を創設した吉田日出夫さん。

(*注)日本で最初のスーパーマーケットは、1953 (昭和28)年12月に東京・青山にオープンした「紀ノ国屋」だという説もあります。

今から約29年前の1982 (昭和57)年4月20日に吉田日出夫さんが書いた「スーパーの原点」が発行された。

110313吉田日出夫さん「スーパーの原点」.JPG

「スーパーの原点」の帯には;

いまこそスーパーの本質を見直すべき時にきている!! 日本最初のスーパーの創設者である筆者が、長年の沈黙を破って初めて語るスーパーマーケットの本質とは。

とある。

「主婦の店スーパーマーケット全国チェーン」は1998年7月に解散したが、「風車系主婦の店」の創業精神は今もどこかのスーパーマーケットで生きていると信じている。

私は、2008年2月22日から「風車系主婦の店」を探し続けている。

「風車系主婦の店」を探せ!







nice!(77)  コメント(4) 
共通テーマ:グルメ・料理
- | 次の5件 スーパーの原点 ブログトップ